「落ち人、だと?」
頭上から降って来たその言葉を頭で理解した瞬間、希美子はバッと自分の頭部を確認した。
(え?!ふ、フード被ってるよね?!な、なんで?!)
希美子がフードを抑えながらクエスチョンマークを飛ばしていると、ジークヴァルトの手の平が希美子の後頭部をフード越しにスパンと叩いた。
……いつもよりちょっと痛い。いつもは全然痛くないので。
「頭下げる前にすっかり面を晒していただろうが」
「え、え?!」
どうやら、今希美子がフードを被っているのは目の前の御仁に頭を下げたからで、その前にはすっかりバッチリ顔を晒して居たらしい。
「……おい、A級。そのツレは『お前の落ち人』か」
ちんちくりんの起こした珍事そのものよりも、目の前のマフィア(仮)は自分の目で見たものが信じられないとでも言うように唸るような声で問う。
「――ああ、俺のだ。アンタの孫娘が作った前掛けをいたく気に入ったらしくてな 」
何でもない事のように言うジークヴァルトの言葉を聞くと、マフィア(仮)はゆったりと椅子に腰掛けた。
「……儂の情報は随分と高かった筈だ。坊主、そんな事の為にアマーリアから儂の店を聞き出したのかの?彼女の名前まで聞いて?とてもじゃないが信じられんよ」
ちんちくりんの落ち人が乱入した事に気を取られはしたが、あの『落ち人』はともかく、このマ……ジベットは目の前のA級の目的がそれだけとはどうしても思えなかった。
「あ?アンタの居場所はモモン三十個、『アマーリア』の名前はロメーヌ二十三個……価格にして約四十倍だ。随分イイ女だな?」
ここで初めてジベットは頭を抱えたくなった。
国でも数少ない錬金術師であるジベットは、王都でぶいぶい言わせていた頃から頻繁にその身を狙われて来たクチだ。
己の身が心配ならば、国に飼われるという選択肢もあったが、平民生まれの彼の意地が飼われる事を許さなかった。
『自分の売りたい相手に売りたい物を売る』
そうやって生きたかった。
しかし、一見平和に見えるこのイスターレ王国に於いても平民が我を通すのは容易な事ではない。
貧困や飢餓、そんなモノが無くたって人の欲は止まることを知らないし、強者が居れば弱者は踏みにじられるのが常。
そんな世界で彼が己の力で、より大きな力を持つ為に手を出したのは『情報』だった。
彼のポーションを必要とする者達が、彼の元を訪れる頃には随分と舌の滑りが良く、口が回るようになっている。
誰も彼もが切羽詰まって、金に糸目を付けず手段すら選ばずにジベットの『奇跡』を求めて彼の元を訪れるからだ。
『奇跡の水』と『情報』、この二つを手にした青年はいつしか薄暗い道を歩くようになっていたのだが、それも今は遠い昔の思い出と言えよう。
いや、思い出という事にする。孫に嫌われたく無いので。
隠居先として、イスターレの宝石と呼ばれるこのレイアに仲間と移り住んだのが十数年前。
バッハシュタインは貴族の中でもなかなか話のわかる器の大きな男だったと言うのが大きな理由だった。
たまにフラリと店に来ては美味い酒となかなか面白い話を手土産に置いていく。そんな貴族をジベットは他に知らない。
そんな彼――バッハシュタインの息子に『落ち人』が授けられたとの情報が入ったのは半年程前の事。
そして、このレイアの神殿に居る王妹の息子へも『落ち人』が授けられた……それが二月前。
そして、このレイアの冒険者ギルドで唯一のA級冒険者にまで『落ち人』が授けられたと情報が入ったのがつい昨日の事だ。
これは常ならざる事、何かが起こる前兆と思ってもいいだろう。
その証拠にバッハシュタイン卿が既に動き出しているとの情報もジベットの耳に入っていた。
ジベットはその半生故に情報が確実となるまで、目の前のA級にまで落ち人が使わされたと言う情報を疑っていた。
だからこそ、冒頭の狸よろしい反応が出来たのだが……しかし、それとなく彼の情報を得ようと網を張って置いたところでこのザマだ。
おそらく、目の前のA級はジベットが網を張っていた事をもうわかっている。
ついでに言うなら『アマーリア』にそれを隠す気が無かったとも言える。
あの、あからさまな情報料の格差がそれを物語っているだろうと。
もしかしたら、あのアマーリアが何らかのミスをしたとも考えられるが引退したとは言え彼女がこんな若造にしてやられる可能性は限りなく低かった。
(嘘を見破るアーティファクトでも無い限り、アマーリアの二枚舌が見抜けるとは思えん……)
アマーリアは口から産まれてきたような女だ。情報を引き出し、そして隠す事に長けている。
何故、ジベットがここまで警戒しているか、それはジークヴァルトが口にした『アマーリア』の『本当の名前』に起因する。
その意味は――「情報量は前払いで貰っている。ジベットの判断で最大限便宜を払ってくれ」という事を意味していた。
(ロメーヌ二十三個だと?そんな額で、この名前を売った……?いや待て、本当にこのA級の目的がリリーの針仕事だとしたら逆に高すぎるとも言える……ああクソ!情報が足りな過ぎだ!!)
……マフィア(仮)、その老体には少々気の毒な程に混乱していた。
(ロメーヌ二十三……ロメーヌ二十三……ああ!わからん!!今すぐアイツに紙鳥飛ばして問い正してやりたいわ!)
「……おい爺さん、いつまで考え事してやがる」
ジッと見つめ、相手の器を測るような強者特有の空気とやらを演出していたのに、まるで頭の中を覗いていたかのようなジークヴァルトの言葉に、ジベットの心臓は警笛よろしく早鐘を打っていたがソレを晒す無様だけは侵さなかった。
「……そう老人を急かすな、そこに座って待っておれ」
ゆっくりと立ち上がりつつ、何でもない事のように背を向けて――そう言うしか無かった。
一方ジークヴァルトは、やれやれと言ったように溜め息をついて勧められた椅子にツガイと腰掛けようと振り返り、固まった。
「……ごめんなさい」
明らかに落ち込んでるツガイの姿がそこにあったからだ。
なんだ、何をコイツはそこまで落ち込んで謝罪をしている?と。
「ジークがせっかく買ってくれたローブ、無駄にしちゃった……」
「……あ?」
「あの、見るからに怖いお爺ちゃんに見られちゃった。私が落ち人だって、知られちゃった……」
しゅーん……と聞こえてきそうなツガイの姿に、ジークヴァルトは――なんだ?さっき少し強く叩き過ぎたからか?と内心でよくわからない慌て方をしていたが、眉間の皺は悲しいかないつも通りの深さで刻まれている。
一瞬ため息を吐きそうになるが、さすがにタイミングが悪そうなのでグッと飲み込んでおく。
「おい、こっちに来い」
自分の足音にすら怯えそうなツガイにそれだけ言ってみた。
「……うん」
おずおず、と言った風に近付いて来るツガイに少し焦れながらも根気強く側に来るのを待ち、手の届く間合いへ入った所でその腕を引く。
グッと胸に抱き込んだ希美子が、一瞬身体を強張らせたが、直ぐにジークヴァルトの服の裾をそっと掴んで来たので、ジークヴァルトは今度こそため息をつきたかったが、彼女の耳元で囁くような小さな声で話し始めた。
「――アレは情報屋だ、果物屋の女も」
「?!!」
希美子は思わずジークヴァルトの腕の中で身体を跳ねさせた。
(えっ?!いやそれ本当に不味いんじゃ……)
びくりとしたツガイの考えている事が手に取るようにわかるなと、仕方なさげな表情で少し笑ったジークヴァルトは先を続ける。
「早いか遅いかの違いはあっても、俺に落ち人が来た事はどうせ知れる事だ。だったらアイツらに情報を操作させた方が何かと都合が良い」
「な、なるほど?」
そう――ジークヴァルトは『アマーリア』が情報屋らしい事は以前から知っていた。
希美子が彼女の店の果物に気を取られたのは偶然であったし、彼女の所属する網――その元締めが件の『リリー』の祖父だとは知らなかったが。
しかし、アマーリアの放つ『嘘の匂い』と、彼女の声音、間、その全てを観察した結果――あの瞬間ジークヴァルトの勘が、彼女の『高い名前』を聞き出す事に的を絞らせたのだ。
「どうやら、奴の孫は『貴族御用達』の店に居ながら職にあぶれているらしいからな。思い付く仕事を片っ端から渡してやれ、多けりゃ多い程良い。『落ち人様御用達』の札を渡して、あの孫馬鹿の爺いに首輪をつける」
……ジークヴァルトさん、真っ黒である。
「う、うん。わかった……」
ジークヴァルトは、希美子の返事を聞くと抱きしめていた腕を弛めてツガイの頰に手を滑らすとその顎に添えて軽く引いた。
「?!!?!!」
(あっ?!顎ク……)
「しかもあの爺いは錬金術師ときた、隠居老人だろうが関係無え、馬車馬の様に働いて貰おうじゃねぇか」
「…………」
……その瞬間、希美子はジークヴァルトに魔王を見た。
(なんだろう、さっきまであんなに怖かったお爺さんに「逃げてー!」って言いたくなるの、なんだろう……)
そう、少し遠い目をした希美子の顔に影が差し――
「ッ?!!」
気付くと希美子はジークヴァルトにキスされていた。しかも、深いヤツである。
(え?!なんっ?!!え、なんで?!!)
「きゃっ……きゃああああっ?!!」
「ッ?!!」
先ほど、爺さんが消えていったカウンター向こうの通路の方から突然若い娘の悲鳴が響いた。
悲鳴に驚いた希美子が唇を離してくれないジークヴァルトを横目に……声のする方へ視線だけを向けると――
「ご、ごめんなさいっ!!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!み、見てないです!見てないですぅう?!!」
「ん、んんっ?!ん……ぅ――んん?!」
赤毛のポニーテールを揺らしながら、手で顔を覆い隠した少女の――
――指の隙間からバッチリ見える緑色の瞳と目があった。
「んーん――――ッ?!!(ジークうぅぅう?!!)」
「見てないです!見てないですから――!!」
『お針子』リリーと『落ち人』希美子の初見がコレである。