「ジーク!あれ、昨日切ってくれた桃?」
「あ?」
朝食を軽く済ませた後、希美子達は噴水前広場へ来ていた。
朝からちょっと『元気』してしまった為に、昼までそう時間が無さそうだったので。
ちなみにヨーグルトの様なものに適当な大きさに果物を切って乗せたものだった。ジークヴァルト、発酵食品が駄目という訳では無いらしい。
希美子が見つけたのは、噴水前広場の脇に立ち並ぶ引き馬車を改造したと思しき屋台だ。
シンプルながらシルエットにこだわりを感じるAラインのカフェエプロンを付けたおばちゃんが希美子が果物に興味を引かれたとみるや話しかけて来た。
「おや、いらっしゃいお嬢さん」
しかし、希美子は直ぐにはソレに気づかなかった。おばちゃんのエプロンをガン見していたので。
(このおばちゃんのエプロン可愛い……何処に売ってるんだろ……?縫い目もしっかりしてて……作った、って事は無さそうだけど――)
「お嬢さん『モモン』が好きなのかい?今日はなかなか良い具合のが揃ってるよ!こっちの『パニン』が一番のお勧めだけどね」
「えっ?あ……ありがとうございます」
(ど、どうしよう……!し、試食を受け取ってしまった?!)
エプロンに気を取られていた希美子は、手早く差し出された黄色い果実の刺さった楊枝を思わず受け取ってしまって内心ものすごく焦った。
しかし、思わず固まった希美子を見るや、果物屋台のおばちゃんが豪快に笑い声をあげた。
「あっはっは!押し売りゃしないよ、あんまり嬉しそうにウチの『モモン』に食いついてくれるから嬉しくなっちまっただけさ、お食べよ」
「あ……ありがとう、ございます」
まあ、そう言われてしまうと何か買わなきゃと思う気にさせられるのが日本人の性格というか何というかなのだが、ここで断れないのも希美子という小市民なので小さく「いただきます……」と言ってパクリと口にした。
途端、口の中で突き抜けるようなアロマ香と瑞々しい果実味が広がった。
(パイナップルだ……コレも美味しい……)
正直、希美子はパイナップルはあまり得意では無かった。一切れ食べただけで口の中が痛くなってしまうので。
しかし、この『パニン』にはそれが無い。その事に希美子は確かな感動を覚えた。「た、たくさん食べれるパイナップル……だと?」と。
「一つ貰おうか」
頭に触れる、ここ二日で慣れた温かくて大きな手に、それがジークヴァルトのものだと直ぐに希美子にはわかった。
「あいよ、アンタ良い男だね?」
「え……え?!ジーク……」
慌てる希美子を無視して、ジークが「ところで」と笑顔のおばちゃんに話しかける。
「その前掛けはどこで売っている?」
「は?……ああ、コレなら二丁目のリリーに作って貰ったのさ。お針子修行の一貫でね、既に腕は確かだってのに仕事を回して貰えないってんだからお貴族様御用達の店ってのは……」
「おい、モモン三十個追加だ。それで、そいつは何処にいる?」
ジークヴァルトの言葉に一瞬、虚を突かれたような顔をしてみせたおばちゃんだったが、途端、悪戯っぽくニヤリと笑ってみせると、徐に奥の棚に飾るようにして置いてあった黄色い果実を一本ちぎり取ると剥き出した。
「二丁目入って五件目にあるジベット爺さんの錬金工房の二階に住んでる、リリーはジベット爺さんの孫なのさ。はいよ、お嬢さんバナットもお食べ?」
今度は思わず手に取ると言った愚を侵さなかった希美子だが、ジークヴァルトが素早く手に取ると希美子の口の中に放り込んできた。
「んむ?!」
(――な、何このバナナ?!程よい酸味と深みのある味わい?!美味し――って違う!個人情報!個人情報がすごい早さで流出してくるよ!?)
「バナット、そこにある二房追加だ。その爺さんの性格は?俺たちだけで行ってリリーに会えるか?」
ジークヴァルトの質問が終わるより先に、おばちゃんはバナットの上に置いてあった木箱を開けていた。
「とんでもないね、すんごい偏屈爺さまだよ。まあでも私の名前を言えば話を聞かない事も無いかもねぇ……お嬢さん、ロメーヌも――……」
そこまで言って、木箱に入った果物を取り出した姿勢のまま、おばさんは何か思案するような表情を見せた後――プルプルと震え出した。
「……?」
希美子が首を傾げた次の瞬間――
「ぷっふははははっ!!ああ面白い!もうだめだ!参った参った!」
途端に笑い出したおばちゃんに希美子は面食らった。
笑い上戸なのだろうか?
「……いいさ、男前に免じて教えてあげるよ、私の名前は――」
そこまでおばちゃんが言った所でジークヴァルトは、彼女が手に持っていた細かく白い網目の入った緑色の果物を取り上げると一言。
「ロメーヌ、あるだけ出せ。アンタの名前は?」
それまで人懐っこい笑顔で豪快に笑っていたおばちゃんの表情が、ほんの一瞬硬くなった気がした希美子だった。
――
――――
――――――
噴水広場の東南の位置に、レイア二丁目通りが存在する。東通りは市井に暮らす平民の中でも、貴族相手に商売している者が多い、比較的裕福な層が暮らす場所だった。
錬金術で身を立てているとしたらそれも不思議ではないとジークヴァルトは言う。
アントワールに置ける錬金術師とは、ポーション類を作り出す者の事で、薬師とはまた別のカテゴリーに当てはまるらしい。
(ポーションは、様々な薬草類を使って魔力反応を利用した奇跡の薬の事。魔力を帯びた水薬の事で、薬師さんが作るのはあらゆる動植物を煎じて粉末状にした物が基本……と)
抗生物質と漢方の違いみたいな物だろうかと希美子は思っているが、薬を作る過程に置いて魔力を使っている時点でお察しである。
「これから会いに行くのは凄いお爺ちゃんなんだねぇ」
「……………………そうだな」
実際、王都でも錬金術師なんてそこらにいるような有り触れた存在では無いので、凄いどころか『途轍もなくすげぇ爺』なのだが、価値観のわからない希美子にとっては『なんかわからないけど凄い』で一括りになってしまうようだった。
「五件目……五件目……いち、に、さん……よん…………ここ?」
ジークヴァルトと供に二丁目へ入った希美子は、歩きながら数えていたのだが、明らかな『一見さんお断り』な店構えに思わず指差し確認してしまった。
「……そのようだ」
通り沿いに窓一つない上に、扉が一つ。しかも看板もない。
希美子は昔見たアメリカ映画、禁酒法が敷かれていた時代のバーみたいだなと思った。
(開いた途端、マフィアが一斉に睨んできたりしないよね……?)
「何してんだ入るぞ」
「ええっ?!ちょっ……ジーク?!」
腰が引けてる希美子に構う事なく扉を叩く事もせずに入って行くジークヴァルトに、希美子は一瞬躊躇するも小走りでちょこちょこと後に続いた。
「お……おぅ……」
店構えがそうなら、店の中もそう、であった。
店内を囲むようにしてカウンターが設置されており、その中にある棚という棚にまるで色取り取りの酒瓶のようにポーションと思しきものが並んでいる。
しかし、カウンターの前には椅子の一脚も無く、中央にビックリするほど高そうな応接ソファが一組あるだけだった。そして――
(……え、なんなの、ゴッドファーザーなの?)
否、スーツに蝶ネクタイを締めている訳でも、オシャンティなハットを被っている訳でも無い。
カウンターの隅で分厚い本片手に小さな丸メガネをクイッと引いて希美子達に視線をくれたロマンスグレーの爺が持つそのオーラが、完全にマフィアのボスのソレだっただけだ。
「アンタが『ジベット爺さん』か 」
「………………」
ジークヴァルトが声を掛けてもソレに取り合う事なく、ただジッと丸眼鏡をずらしてこちらを見ている。
「噴水広場の果物屋『アマーリア』からだ」
ズカズカとカウンターまで歩いて言ったジークヴァルトはそう言って、先ほどおばちゃんから購入したロメーヌをドンッとカウンターに置く。
(……え、それ、ジークが買ったやつだよね?なんでおばちゃんから?……え、どういう事……?)
希美子はジークヴァルトの言葉を疑問に思いながらも、お爺さんの威圧感に完全に腰が引けていて……でも、ジークヴァルトの側からも離れたくなくて……。
結果、忍び足で中央の応接ソファの脇に位置取った。
しばらく、無言でジークヴァルトを見つめ、ほんの少し希美子に目を向けて、そして……間。
(……あああああっなんか、もう、すっごく息苦しい!間を取りすぎる大物役者は困るって某映画監督も言ってたよ!この状態、まさにソレ!困ってるよ、絶賛困ってるよ!私が!)
「……なるほど、それで?」
「アンタの孫娘、リリーに用があって来た」
ズンっと、空気が一段と重くなった気がした。
(……タスケテ!無理!怖い!!お爺ちゃん怖い!)
「A級冒険者の坊主が、孫娘に何の用だ?」
クッソ低い声で凄まれた。
(ああああああっ?!ジーク!言い方!言い方ってものがあると思うの!こう、もっとこう!フレンドリーに!!これ、完全に色々な誤解をされているの!!めちゃくちゃ警戒されてるの!ジーク殺されちゃうよ!!怒らせないでよ!!もうもうもうもう――!あー!)
「ああ――アンタの孫む……」
「エプロンを!!作って欲しいんです!!おばちゃんが着てたみたいな!!!」
あまりの予想外にジークヴァルトでさえ反応が少し遅れた。
ダッシュでジークヴァルトの前に陣取り、彼を守る様に希美子が両手を広げて、ほとんど叫びに近い声で依頼内容を口にする。
「あれ!すっごく丁寧な作りで、シルエットもすっごく可愛くて!欲しいなって、思ってたらジークが!彼がおばちゃんにリリーさんの事を聞いてくれたんです!」
「「………………」」
「リ、リリーさんに!会わせて下さい!お願いします!!」
ガバァッ!と頭を下げる希美子に、何とも言えない沈黙が降りた後、件の偏屈爺が一言――
「落ち人、だと?」
そう、希美子がジークヴァルトを護ろうと勢いよく走ってきた時、ローブが捲り上がり――彼女の黒に近い茶色の髪と、象牙色の肌が晒されてしまったのだった。