希美子がふと目覚めた時、彼女はふわふわのクッションに横たわっていて、とても良い香りのするモフモフの毛玉を抱きしめていた。
何かとても幸せな夢を見ていた気がする。
(ジークに好きって言って……ジークが、俺もって……)
微睡みの中で、胸が温かくなって、腕の中のモフモフをキュッと抱きしめると、そのモフモフがピクリッと震えた。
「え……?」
「……目が覚めたか、身体の調子はどうだ?」
視線を上げると、そこには――狼耳を付けた目つきの悪い青年……ジークヴァルトが腰掛けていた。
ジークヴァルトは希美子に手を伸ばすと、人差し指の甲でスイッと 頰を撫でた。
――
――――
「え、何この可愛いお家……」
「ああ、殆ど使っちゃいない」
バッハシュタイン領を一望できる、小高い丘の一番高い場所にソレはあった。
屋敷というには随分小さな、二階建ての可愛らしい家。
使っては居ないと言うものの、街で見かけた家と同じく、窓や軒先の花々には手入れが行き届いていた。
「ああ、そいつは領主の趣味だな」
なんでもバッハシュタイン卿は緑の精霊を使役していて、この領地の花の手入れをしているのは精霊たちだと言う。
「そうなんだ……凄く、いいね。とっても綺麗」
軒先だけではなく、家の周りの庭にも花々が咲き乱れ、木苺までなっている。
(うん、ジークヴァルトには物凄く似合わないけど……)
「……気に入ったかよ」
「は、え?!うん、気に入らない女の子なんて居ないと思うよ?!可愛いし、夢みたいなお家だね!中に入ってもいい?」
ジークヴァルトに許可を貰って家の中へ入ると、直ぐにリビングだった。
木製の家はカントリー調の家具で纏められ、キッチン用品も一通り揃っていて勝手も良さそうだった。
(領主様から貰ったにしては……生活感が凄いな……昨日までちょっと裕福な家族が暮らしてたって言っても違和感ないよ……埃一つ無いし……)
「……何代か前の領主――その落ち人の為に作られた家らしい。埃一つ無いのはその落ち人が作ったアーティファクトの影響だな。掃除要らずと領主の息子……まあ、おっさんだが、自慢気に言っていた」
(その、自慢の家を譲り受けちゃう流れが気になるよ?!ジーク一体何したの?!え、いや、それよりも……)
希美子はジークヴァルトの言葉に、不自然というか不思議な理屈を感じた。
「落ち人が作ったアーティファクトって?私みたいに日本から来た女の子が、魔道具なんて作れたの……?」
「……お前、魔力定着の意味をちゃんと理解してなかったらしいな?」
「え……?…………え?」
「魔力回路の構築ってのは、この世界には居ない――そもそも魔力回路が存在しない人間にその回路を作るんだ。ここまではわかるか?」
日本にはそもそも魔力なんて持ってる人間もいなければ、その回路自体存在しない生き物しかいない。
アントワールからしてみれば、その身体はまっさらなキャンバスのようなものと言える。
「最初に魔力を流し込む時、アントワールの人間――ツガイの魔力回路の記憶がそのまま落ち人に転写される」
魔力回路の作りは、個人個人で違うらしい。
希美子は静脈認証を思い出した。
(魔力の色も、魔力の回路も人それぞれ違う……個人認証には事欠かない世界なんだね。そんな中で、落ち人はツガイの静脈……いや、魔力回路をそっくりそのままコピーされると……)
話が長くなりそうだと踏んだジークヴァルトは希美子をリビングのテーブルに促すと、手慣れた様子でポットに水を入れ、そして彼が手をかざすとポットの中から湯気が立ち込めた。
「そして、魔力の定着。これは魔力回路に循環する魔力の量を身体に慣れさせる為に必要なものだ。落ち人とツガイが交わる時、ツガイの魔力が流し込まれて落ち人はツガイと同じ量の魔力を体内に迎え入れ、その魔力循環に身体を慣れさせていく。その繰り返しで、次第に自分で外から魔力を受け入れられる身体になると言われている。――ここまでで、理解出来ない事はあるか?」
希美子は「無い」と、思った。
理解出来なかった事は無いのだが、とんでもない事に気が付いた気がする。
「もしかして……魔力定着が済んだら、私は……魔力的には、ジークヴァルトと全く同じだけの能力を持つって事?」
希美子の言葉を受けて、ジークヴァルトはニヤリと笑った。
「相変わらず物分かりが早いじゃねぇか。そうだ、魔力定着が済めば――少なくとも、茶を淹れるのが簡単になる」
そう言って、先ほど魔力で沸かしたお湯を使って入れたお茶を希美子に差し出すジークヴァルト。
一方、希美子はそのお茶をジッと見つめてしまう。
(お茶……!!お茶、だけじゃないよね?!アナタ、A級冒険者ですよね?!)
「魔力回路の持つ記憶も転写されるからな、俺が使える魔法なら直ぐにでも使えるようになる。剣術や体術に関しては、使うのが魔力だけじゃ無い以上全く同じとはいかねぇが……鍛えればソコソコになるだろう」
(そんな、事は、考えた事も、無いよ?!)
「……その証拠に、疲れはしても来た時みてぇに足から血を流すような事はなかっただろうが」
「……へ?」
「俺は獣人だからな、常に肉体の表層にも魔力を循環させている。終わる頃には随分と丈夫になるはずだ」
(へー……すごぉいー……)
希美子はあまりの非現実に少し思考を放棄し始めた。
しかし、と、ある事に思い至る。
「……まって……?もしかして、私も……もふもふになれるの?!」
魔力循環の影響で怪我をし難くなるって言うのはそう言う事ではないだろうか、と思い至った。
「私も!!狼獣人さんに?!!」
「いや、それは無理だろう」
「えー……?」
魔力だけはコピーされるという話だ。
肉体そのものは人族と似たそのままなのだから、どうやったって獣人にはなれないだろう。
そう説明されて希美子はしょんもりとうな垂れた。
(……セルフもふもふ出来ると思ったのに)
そして思い出す、先ほど抱っこしていたジークヴァルトの尻尾の感触……あの、極上の毛並みを……。
(もっと、ゴワゴワしてるのかと思ったけど、サラサラでもふもふで、控えめに言っても最の高でした……)
「話を戻すぞ?この領地のバッハシュタインは貴族の中でも珍しく金の計算以外の能力を持っている。魔力一つとっても、そこらの貴族じゃ歯がたたねぇだろう。そんな領主の数代前――騎士団長だったらしいが、そいつの元へ来た落ち人がアーティファクト一つ作るのに苦労するとは思えねぇって話だ」
「そ、そっかぁ……」
何の気なしに抱いた疑問で、物凄いカウンターを食らった気分の希美子であった。
「それで……」
ん?と、希美子が首を傾げた。テーブルに肘を立て、手に顎を乗せたジークヴァルトがチラリと希美子の方を見ては目を逸らしたので。
「気に入ったかよ」
「へ?何が?」
魔力定着のお話だろうか?いや、そんな訳があるかと希美子が考えを巡らせていると、ジークヴァルトが舌打ちした。
「この家以外に何がある」
「え、あ?!家?!あ、家か!うん、凄く素敵だよね!景色も良いし、静かだし!綺麗だし……お花もお庭も可愛いよね!」
何故か凄まれる形になって、それが何故だかわからなくて慌てて希美子は答えた。
「……それから、風呂もある」
「えええ?!お風呂?!お風呂があるの?!」
希美子の超反応にジークヴァルトは再び舌打ちすると、来いと言ってリビングの奥の部屋へ希美子を連れて来た。
――そこには
「猫足バスタブ?!何これ夢?!シャワーもあるよ?!」
奥の扉を開けると、タイル張りのこれまた可愛らしい部屋があり、その中央には大きな猫足バスタブが、でーん、と鎮座していた。
これでもかと言う程に、女の子の夢を詰めたお家である。
希美子のテンションは爆上がりだ。
「かわいい!夢みたい!ねぇジーク、今日はここに泊まるんだよね?一泊するって言ってたよね?!入ってもいい?!」
一方のジークヴァルトは眉間の皺を今日一番深くしながら物凄い不機嫌顔である。
が、テンションが上がりすぎて気が付かない希美子はバスタブに走り寄ってペタペタと触ってはしゃがんで眺めたりと超ご機嫌な様子ではしゃいでいる。
ジークヴァルトはそんな希美子を見ながら何かに葛藤するように歯を食いしばり、掌を握り込んでいた。
「……気に入ったかよ」
「凄いよ!凄い気に入ったよ!お風呂だあ……お風呂に入れるぅ!」
絞り出すようなジークヴァルトの声に応えるも、今度はシャワーに夢中の希美子。
「これ、どうやって使うのかなぁ?石鹸があればバブルバスもできる?!うわぁ!」などと言っていた。
落ち人は行水が好きだ。
これは、幼い頃にジークヴァルトの兄の元へ来た落ち人もそうだったから知っていた事だったが……まさか、ここまでとは思わなかった。
一方の希美子は、本人も覚えているのかいないのか、日本にいた時から無類の風呂好きで、彼女の家の風呂場にはバブルバスやバスソルト、炭酸ガス系など、あらゆる入浴剤が完備されていたし、休みの日には温泉に行ったり家では半日ほどを風呂場で過ごしたりするレベルだったのだ。
そんな彼女の目の前に現れた猫足バスタブ。
棒立ちのジークヴァルトと、バスタブに頬擦りせんばかりの希美子――こうなるのは必然だった。
ジークヴァルトは何かを諦めるように、長い……それはもう長いため息を着くと一言。
「……そんなに気に入ったなら、明日も入ればいい」
「え……?」
この言葉にはさすがに我に返った希美子は、ジークヴァルトに向き直った。
と、そこには――
――疲れたように笑う狼獣人ジークヴァルトがいた。
「明日も明後日も使え、ここに……住めばいい」
「え、ジークヴァルトは?」
「なんで俺が追い出されてる。お前が住むなら俺も居るだろうが」
その、ジークヴァルトの言葉を徐々に理解して行く希美子に、じわじわと喜色が浮かんで行き――
「ジーク大好き!!」
そのままガバリとジークヴァルトへ抱きついた。
「嬉しい!やったぁ、大好き!!」
ゴロゴロと懐く猫のようにジークヴァルトの胸へ頬擦りする希美子に――
「………………」
ジークヴァルトは何故かとても、とぉっても複雑な顔をしていたのであった。
貰ったものの、乙女趣味過ぎてある種の嫌がらせかと思っていた過去の報酬は、ツガイへの求愛行動に付けて、多大なる効果を発揮したのだった。