「お疲れ様でした、如何でしたか?」
婦人服店の店員さんの言葉に、希美子は顔から火が出るかと思った。
結局、最中の時ジークヴァルトはいつの間にかシレッと更衣室を亜空間化しており、いつもの浄化魔法の応用というヤツで、室内の汚れから身体や衣服の汚れも全て綺麗さっぱり取り払われて、回復魔法で体力も体調も絶好調のサッパリとした状態で更衣室を出たものの、いかんせん時間がかかり過ぎている。
しかし、そこはプロなのか希美子達に対して、店員さんはにこやかに応対してくれている。
「ぶ、ブラウスは……もう少し、布の多いものを下さい……」
希美子の言葉に店員さんは丸襟、詰め襟、ハイネックのブラウスを見せてくれたので、ブラウスはその三点を購入する事に決めた。
その中の、詰め襟にレースがあしらわれたブラウスに着替えて更衣室から出た所、ジークヴァルトがモスグリーンのローブを希美子に羽織らせて来て「これもだ」と店員さんに言ってそのまま出て行こうとするので希美子は慌てた。
どう考えてもどう見ても高そうだったので。
けれど店員さんはにこやかに微笑むだけで何も言わない。
「そろそろ飯の時間だ、行くぞ」
「え、ちょっと待ってジーク!まだ支払いが……あと、買うものが……」
「お前が見てたものならもう亜空間に入れた」
「え?!ちょ、え?!!」
スタスタと店を出て行くジークヴァルトと、店員さんをキョロキョロ見ていたが、店員さんが「またお越しください」と言ってにこやかに頭を下げてきたので希美子は取り敢えず店を出るしか無くなった。
「えっと、あの……ジーク?お、お金を……」
希美子がジークヴァルトの背中におずおずと話しかけた時、ピタリと立ち止まった彼は――振り向きざまにペシリと希美子の頭を叩いた。あの、全く痛くないヤツである。
「お前は――俺の『何』だ?」
「え――?」
一瞬、ジークヴァルトの言っている意味がわからなくてキョトンとする希美子。
「えっと……?」
「どこの世界にツガイに狩をさせる雄がいる?」
「え、え?……え?」
それでも要領を得ない希美子の様子にジークヴァルトは舌打ちした。
「お前、まだ自覚が足りねぇらしいな?」
そこまで言ってジークヴァルトは、はたと出店を見やる。と、そこには仲良く接客中の夫婦がいた。
(……人族と獣人の違いか、それとも落ち人だからか)
一つため息をついて今度は希美子の胸倉を掴んで引き寄せると、耳元で言い含めるように囁いた。
「獣人は――雌を働かせたりはしない。巣に入る雌にどれだけの獲物を持って帰れるか、そうやって求愛行動をする。獲物を突き返されるってのはな、そいつにその雌を養う資格はねぇと言われているも同じ事だ」
――ここまで、言えばわかるか?
この場合、雌とは希美子の事で、獲物とは先程ジークヴァルトが購入した衣服。
金銭でものをやり取りする場所に住んでいる以上、どれだけ稼げるかというのが獣人の価値観になってくるという事だ。
しかし、ジークヴァルトも気付いて居ないのか、彼ら獣人は求愛対象の雌が欲しがっているものを常に探るという本能がある。
先程、希美子が気に入っていた服を言い当てたのもジークヴァルト本人の性格もあるが種族的特性による所も大きい。
まあ、いくら観察していた所で雌の機微に疎い雄にはわからないものだが、溺愛する雌の事ならひたすら観察する獣人である。
ストーカー紛いになってしまう雄もいるが、それはそれで種族的なものなので喜ぶ雌もいるとかいないとか。
そして、ジークヴァルトは狼獣人の中でも、雄としてあらゆる方面に置いて優れていたし、何より相手は女神が手ずから彼の為に探してきたツガイである。
「きゅう、愛……行動……?」
「……そうだ」
希美子はジークヴァルトの言葉を咀嚼していく。
彼が、自分に衣服を買ってくれた。
これは、求愛行動によるものらしい。
その事を脳が理解していくと、希美子は泣きたいくらい嬉しい気持ちになった。
気に入ったにも関わらず汚れるのが心配で、それでも諦めきれなかった今着ている服を、希美子はゆっくりと撫でた。
ジークヴァルトが指差してくれなければ、自分は今絶対にこの服を着ていないだろうと希美子は思う。
そして――お貴族様が着るような上質なローブは、ジークヴァルトが選んでくれたもの。
口が悪くて、愛情表現なんて苦手そうなジークヴァルトの、求愛行動。
それが形になって、今、自分の身を包んでいる事が希美子は堪らなく嬉しかった。
希美子は半ベソで、しかし花が咲くような笑顔になると一言「ありがとう」とジークヴァルトに告げた。
「……………………………………行くぞ」
不自然な程に間を空けてそう言ったジークヴァルトの腕に抱きつく。
まるで恋人のように、腕を組む。
自分には、希美子にはその資格があると、目の端に映る柔らかなローブの裾が言ってくれている気がして。
そんな希美子の行動を見たジークヴァルトは、形状記憶された眉間の皺を気持ち深くしながらもそんな彼女の行動を咎める事はしなかった。
――
――――
あの後、ジークヴァルトに食べたいものを聞かれた希美子は、彼がいつも食べているものをとリクエストした。
それに対して暫し思案した後、ジークヴァルトが希美子を連れてきてくれたのは噴水広場から少し入った路地の小さな食堂だった。
「いらっしゃい、どこでも好きな席に座っといておく――ジークじゃないか、アンタが一人じゃないなんて珍しい……って女の子かい?!」
食堂の女将さんと思われる恰幅の良い女性がジークを見るなり奥へ「ねぇアンタ!ジークが女の子連れてきたよ!」と声を掛けている。
(この反応……ジークがデートしてるのなんて確かに想像出来ないけど……これは……?)
「おい?!ジークが女連れだって?!」
奥からこれまたガタイの良いおっちゃんがフライパンを持ったまま凄い勢いで出てきた。
「……ちっ」
やっぱりこうなったか……などと独り言ちたジークヴァルトだったが、目の前のご夫婦に不快を表す事なく希美子を紹介する。
「俺のツガイ――希美子だ、おい」
「あっはい!」
希美子はジークヴァルトが、自己紹介を促しているのだと踏んで、失礼の無いようにずっと被っていたローブのフードを取ると自己紹介した。
「上山……、もう違うのかな?……えっと、希美子です……?」
希美子は姿勢を正してお辞儀したが、あれだけ騒がしかった夫婦が今度は一言も発しないのを感じて「あれ?」と思う。
(なんか、失敗した……?)
何か失礼があったのだろうか?この世界の常識を知らない希美子はもしかしたら無礼な態度を取っていたのかも知れないと不安になり、おずおずと頭を上げると夫婦の様子を伺う。
「「お、おお落ち人様だってぇ?!!」」
「え……?あ、あれ?」
希美子を見るなり目に見えて狼狽えた夫婦に、希美子は困惑した。
「おい、誰がフードを取れと言った?」
「え?!だ、だって失礼でしょ?!」
再びフードをバサリと被される希美子。今、店に居る客は自分たちだけとは言え、いつ他の客が入ってくるかわからない。
そもそもこの夫婦にも希美子の顔を見せるつもりは……まあ、あるにはあったが今じゃ無かったとジークヴァルトは思っている。
「ジーク!あんた、落ち人様を頂いたのかい?!」
「ちゃんと神殿には行ったんだろうな?!」
「うるせぇ。俺は飯を食いに来たんだ、早く出せ」
俺もこいつも朝食べたきりなんだよとジークヴァルトが言うと、二人は注文も聞かずにキッチンへドタバタと走って行った。
「……に、賑やかな人たちだね?」
「……うるせぇだけだ」
(とは言うものの、神殿にいた時よりもずっとリラックスしてるみたいに見えるんだよなぁ……)
例えば、出会ったばかりの姿――狼の耳と尻尾があった――なら、神殿にいた時は耳がピンっと立っていただろうが、今ならリラックスしたように時折ぴるぴるっと動いていそうな、そんなジークヴァルトの姿を妄想して希美子は――
――セルフで萌え悶えた。
しかし、と希美子は思う。
神殿にいた時にも少し思ったが、ジークヴァルトは人族にすっかり溶け込んでいるように見える。
希美子は街中で一人も獣耳を持った獣人さんを見なかった。もしかしたら、ジークヴァルトのように魔法で人の姿を取っているだけで、いたのかもしれないが。
(この世界の獣人さんの立ち位置ってどんな感じなんだろう……?)
ジークヴァルトは自分が獣化した姿を希美子が嫌がるだろうと決めつけていたように思う。
逆に言えば、それがこの世界の一般的な人族の感覚なのだと言っているようにも見える。
(獣人だって言う事を、隠してる……?)
そうなのだとしたら、森を出る前に一言言っておいて欲しかったと希美子は思った。
何かの拍子に自分がペロッと話してしまったらどうするつもりだったのかと。
(やっぱりまだまだ、何を考えてるのか分からない事が多いな……これから、だね)
チラリとジークヴァルトの横顔を盗み見て、他の人に余計な事は言わないように気をつけようと心に決める希美子であった。
「はいよ、ジーク!いつものでいいんだよね?」
「え……」
――ドンっと出されたのは、日本ではそうそう見ないサイズの巨大なステーキだった。
朝のカフェ飯はなんだったのか。
まあ、朝のベーコンもなかなかの厚切りではあったのだが、希美子はもしかしたら食べ物の趣味が近いのかもしれないと思って、良い機会だしとジークヴァルトのいつも食べているものを見たかったのだ。
見たかったのだが……
(さ、さすが狼獣人さん……そりゃ、お肉が好きだよね……)
希美子はジークヴァルトの目の前に出された巨大な厚切りステーキを見ながら、自分にもこのサイズが来るのかと戦々恐々とした。
「あははっ希美子さまにはこっちだよ!」
フードを被っているとは言え、わかりやすく固まった希美子の目の前に出されたのは、見慣れたサイズのステーキだった。
それでもステーキ。
付け合わせの葉物野菜のソテーと大きなふかし芋もほんのり香るバターの匂いが食欲をそそり、なんとも美味しそうである。
ステーキの上には輪切りのレモンとバターが添えられていて、ジークヴァルトのステーキが肉体労働者向けステーキハウスのメニューなら、此方はお貴族さまが訪れるような高級レストランで出てきそうな出来である。
「いただきます」
希美子がそう口にすると、ジークヴァルトはチラリと彼女を見て……何も言わずにステーキを食べはじめる。
「美味しい……」
味付けは塩胡椒とガーリック、それに少量の赤ワインで臭みを飛ばした程度のとてもシンプルなものだった。
しかし、その肉質は柔らかく、羊のような淡白な味ではあるものの味に深みがあり、脂がさらりとしていてほんのりアーモンドのような香ばしい香りを纏っていた。――そう、美味しいのである。
葉物野菜のソテーも、ふかし芋でさえ美味しかった。どれも味が凝縮されている感じがするのに、バターと塩胡椒の味付けが絶妙で、素材のポテンシャルを最大限に引き出した料理だと感じさせられた。
一口、一口と、食べるごとに幸せそうな顔をする希美子を、形状記憶された眉間の谷はそのままに、ジークヴァルトが口の端を少しだけ上げて満足気に見ている。
女将はそんな二人を眩しいものを見るような表情で見守っていた。