割れたコップを片付けようとした優香だったが、聞き取れないほど小さな声でラウロが何かを呟いた次の瞬間、あたりに眩い光の粒が立ち込めて割れたグラスやこぼれたコーヒー潰れてしまったチーズケーキを包み込んだ。
するとどうだろう、その光が収束する頃には全てが元どおりになっていたのだ。
チーズケーキは潰れる前の食べかけの状態に、カップもソーサーも割れる前の元どおりの姿で元どおりの場所へ、コーヒーからは湯気が立ち込めあたりには良い香りが立ち込めた。
「人族達では行使不可能っていう、魔人の固有魔法──再生魔法だよ 」
驚きすぎて静かに目をまんまるくしている優香をみて、眉毛をハの字にして微笑んだラウロが教えてくれた。
コレに近い人族の魔法と言うと治癒魔法になるらしい。しかし、彼らは焼けて亡くなった身体等は元には戻せない。他にも太い木が腹を貫いた時も同様らしいが、魔人の再生魔法ならソレが可能だという。
もちろん、行使する魔人の力量によって再生できる幅は異なる。焼けて灰となった死体を元に戻れるのは魔王くらいなものだ。
「ハァ…… 」
腰掛けたラウロが額に手をかざして深いため息をついた。
「優香、止めてくれてありがとう。少し頭に血が上り過ぎてた……すみれにも謝らないと 」
──必要な精気をアンタ、すみれに持って来させてるのか? 少しすみれに対して探る姿勢を見せただけでこうして威嚇してくるアンタが?! 落ち人に、ツガイに俺たちの真似事をさせてるのか!!
あんな台詞は、外野がセラフィーノに言うようなものでは無いとラウロは理解していたし、実際そうだった。
再生魔法可能な魔人にとって、羽が折れれば何を置いてもまず最優先で治療するものなのだ。
それをそのままにしているのには何か理由があるはずであり、その理由を知らないような『外野』であるラウロに、二人の問題をとやかく言うような資格は無い。
何よりラウロはすみれの為に怒った訳ではない。
自分が『落ち人狂い』となり、今のセラフィーノのような現状をどれだけ理解しているかもわからない状態に陥った時、どんな事になるのか。
すみれを自分のツガイである優香と瞬時に重ねてしまったからこそ頭に血が上った。そしてあたかもすみれを案ずるような言い方をして、セラフィーノを責めた。
「謝らないと……」
優香に夢魔の真似事をさせるなんてと、そんな事は耐えられないと思った時には声を荒げていた。
「ラウロ……? 」
常に無いラウロの様子に優香は彼の座る椅子のそばに跪いて、彼の太ももへ手を添え顔を覗き込んで様子を伺う。
そんな優香へ力無く微笑んだラウロの瞳が長い前髪で影っていた。
「ちゃんと、しっかりしないとね 」
そう言って、優香の頭を優しく撫でたラウロが儚く見えて、何も知らない優香はただ彼を「綺麗だな」なんて思っていた。
「ふふ、そうねぇラウロ君にはしっかりして貰わないと 」
「すみれ……早かったね」
「セラフィーノには眠って貰ったわ、まあ……眠りと言うには些か味気ない世界なのだけれど 」
意味深に言ったすみれの言葉に、ラウロはどこか得心のいったような、それでいて複雑そうな表情になった。
「……味気ない? 」
すみれの言葉に反応したのは優香だった。優香にとってこの世界へ来てからの『眠り』とは、ラウロと会えるもう一つの場所。味気ないと言うよりはむしろ夢魔である彼のせいで、あの世界は目眩く無限のエロス広がる世界──味気ないとは無縁といえる。
もちろん致した後、彼に抱かれ彼の腕の中で眠る時まで夢の中で延長戦をしている訳ではなかった。そこはしっかり以前と同じように────優香はそこまで考えてハッとする。
「そういえば……こっちに来てから、夢を見ていない……? 」
「……ラウロ君? 」
「うひっ?! すみれさん……? 」
優香の言葉にニッコリ微笑んだすみれの表情に、何故かとてつもない圧を感じて、ビクリと身体を跳ねさせた優香は身体を縮こまらせた。
「ん、ごめんね優香。優香が夢を見ないのは、俺が優香の精神世界を他と干渉させないようにしているからだよ 」
「他と干渉……? 」
「有り体に言えば、他の夢魔が優香にちょっかいをかけてこないように、優香を監禁してた 」
「監禁?! 」
なんという事だろう、優香は覚えがない内に監禁されていたと言う。
「え……ラウロはヤンデレなの……? 」
「やんでれ……? え、すみれは何でそんなに笑ってるの? 」
ラウロの言葉に優香が首を傾げてすみれの方へ振り向くと、すみれは上品に口元に手を添えながらプルプル震えていた。
「ふふふふふっら、ラウロ君がヤンデレ……ふふふふふ、ふふふふふふふっ 」
上品でオタク文化と無縁に見える雰囲気のすみれも、この世界で夢魔と添い遂げているあたりお察しと言うことか、『ヤンデレ』という言葉を知っていたらしい。
すみれがあまりにも楽しげなので、何か良くない事なのだと察したラウロは優香に急いで説明した。
「夢魔は死してもなお、自らが望めばあの精神世界に存在し続けることができるんだ。そしてそんな『老害』ほど、『落ち人』を求めてやまないらしいからね 」
あたかも始祖から優香を守る為みたいに言っているが、ラウロ自身あんなにあっさりと始祖が優香の匂いを嗅ぎ分けて姿を表すなんて思って無かった。
せいぜい、精神世界に蔓延る夢魔達から隠しておかなければと半ば本能的に優香の精神世界に結界を貼っていたに過ぎない。
「ラウロ君? 」
「うん、ごめんね優香。他の奴らに優香を見せたくないから結界張ってました」
「ええっ?! ぇ、いや……い、いいよ。大丈夫、うん、平気! 」
抱かれている時以外のラウロにまさかそんな独占欲ともとれる甘い事を言われると思っていなかった優香は真っ赤になって狼狽た。