それは水晶で作られた露天風呂を想像して欲しい。水晶はパールホワイトだ。
しかも淡く光輝いている。
そんな露天風呂の中に乳白色の湯がたっぷりと張られていて、しかも掛け流し。
キラキラと輝く浴室、パールの輝き、温かな湯気――そう。
『温かな湯気 』コレがあるはずなのだ。
なのでこの空間はあったかい筈なのだ。
なのに何故、優香は今、酷い寒気に襲われているのだろうか?
「あの、吸血将軍様が…… 」
「それはもう聞いたよ 」
――ぶるりっ
思わず肩を跳ねさせた優香が、恐る恐る隣のラウロを仰ぎ見た。
「………… 」
見なかった事にした。
んっと口をひき結んでラウロとは逆方向の斜め下で視線を固定――否、目だけでラウロに話しかけている美少年をチラッと見ては、また戻す。
そして、現実逃避した。
(あーえっと……吸血将軍って、どんな人なんでしょう? 将軍って言えばやっぱり歴戦の猛将みたいな、少年漫画でしか見た事ないような筋肉してたり、色々傷痕があったり……? ドラキュラ公とかドラキュラ伯爵とかならイメージあるけど、ドラキュラ将軍って事ですよねたぶん? 黒の夜会服を着こなす貴公子が何故に将軍なんですかね…… )
そこまで考えた優香は、ハッと何かに気付く。
「なるほど! アントワールの吸血鬼は脳筋設定!! 」
「ぶはっ!! 」
「え、ラウロさん? 」
すっかり現実逃避していた優香は、突然隣で噴き出したラウロにびっくりして振り返った。
ラウロはと言うと、ただでさえ長い前髪で隠れている顔を女好きするあの大きな手で覆ってプルプルと震えている。
「まったく、敵わないなぁ優香には……ふふっ、行こうか……プスッ 」
時と場所が変わればお色気怪獣に大変身する筆頭インキュバスが『プスッ 』って言った。
さすがに少し恥ずかしかったのか、軽くさり気なさを装いながら咳払いして、ラウロはいつものように優香をエスコートした。
浴室に『この世の終わりを見た 』ような顔の部下を置き去りにして。
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――――
暖炉のあった最初の部屋へ戻ると、一人の美形が寛いでいた。
年齢は二十代半ばから後半くらいの、襟足が少し長い艶やかな黒髪を持つ青年だった。
暖炉の前にあるソファへ腰を掛け、まるで部屋の主と思える程の寛ぎっぷりはとても優雅で気品があった。
――夜会服のような、パリッとした服装がとても堂に入っていた。
青年はラウロと優香に気付くと、『優雅』に立ち上がり持っていたワイングラスをゴシック暖炉の上へ置いて、人好きする微笑みを浮かべながら『優雅』に二人の前に立つと、『優雅 』に優香の手を取って指先にキスをした。
「はじめましてマイレディー。私は『吸血騎士 』ヒューバート・バレル、始祖の系譜に名を連ねる者。マイレディ――貴女の名前を口にする栄誉を、どうか私に下さいませんか? 」
『吸血鬼騎士』って言う事は『吸血将軍』とは別件――とか考える前に、リアル指先にキッスを受けてから石のように固まっていた優香は喉をゴクリと鳴らして、その目を限界まで見開いた。
(うそ……でしょう?この人―― )
しかしその思考の途中で場が一変した。
――ガシャーン
「え…… 」
気付けばラウロがヒューバートによって組み敷かれ、腕を捻り上げられ背中に乗られていた。
「ぐっ…… 」
「ハイ、だうとー。現実世界で俺様に殴りかかろうなんざ百万年早い 」
「え……え、ええぇぇえ?! 」
ハッと馬鹿にしたように鼻で嗤ってみせたヒューバートに、ラウロが完璧に押さえつけられていて、時折微かに動くものの純粋な筋力(?)では到底及ばないようだった。
即座にラウロが危害を加えられる様子はないものの、側から見てもラウロが全力でもがこうとしているのが見て取れる。
優香は若干涙目になりながら行き場の無い手をソワソワとさせている。
「魔人は落ち人を頂いてから日が浅いせいで耐性が無い、まあ俺様だったら絶対大丈夫だけどな。お前みたいな一般魔人は『落ち人狂い 』の症状には気を付けろと父上も仰ってなかったか? 手紙が届いた筈だろう、何故無視をして魔王様に直接謁見許可の申請書を出した? 」
「アンタの父だって? エルセバート・ファレル? 」
ラウロが人を揶揄するような声音で話すのを、優香ははじめて見た。
基本的に人に興味のなさそうなこの男が、こんなに感情を露わにして人と接する事自体が稀なので、優香が見たことがないと言っても当たり前だった。
「他に私の父はいない筈だが? 」
何を当たり前の事を、とヒューバートは答えた。
「向こうがアンタの事を息子と呼んでいるのを、見た事がないんでね。確認は必要だろう? 」
ラウロが言ったその時、ヒューバートは顔色一つ変えずに強い力で髪を引っ張り上げたので、ラウロは仰反るような態勢に一瞬顔を歪めた。
「どうしたインキュバス、嫌味にいつものキレが無いぞ? 」
「……アルミロ、ファレル宰相からの『命令書 』をこちらの―― 」
ラウロから出た『命令書 』という言葉に一瞬ピクリと眉を動かしたヒューバート。
「『吸血将軍 』に見せてや―― 」
「その名前で
俺様を!!
呼ぶんじゃねええぇぇええ!!! 」
――――バキィィイイ!!
「ひいぃぃい! ラウロさあぁぁん!! 」
後日、優香が聞いた話によると、ヒューバートは『らしくない 』この渾名が、鳥肌が立つ程嫌いらしかった。
だからと言って、落ち人のツガイの頭を床が割れるほど叩きつけないで頂きたい。
優香は茜に教えてもらいながら、後日正式に『吸血将軍 』へ抗議文を送ったのだった。