数多の尖塔が、暗雲へと挿すように伸びる魔王城は、それを形作る煉瓦すらも黒かった。
城の窓から漏れ出る光を総て落として、夜の帳に包まれたなら人族の目ではその姿を探すこともままならない。
長い歴史の中で勇者だけがこの城を見つけ、単身乗り込み魔王を討ち取ってきた。
――今代魔王が即位するまで、魔王城とは魔王の墓跡と同義であった。
「魔王陛下――カルカテルラ領主代行、ラウロ・アッカルドです」
魔王城に着いて直ぐに通された部屋で待つこと数時間、優香とラウロを呼びに来たのはゴテゴテしい装飾の付いた豪華な服を見に纏った蛙族の子男だった。
襞襟から生えた蛙の頭を見て優香は『蛙小物好きの女子が飛びつきそうなマスコット感です……』と心の中でひっそりと呟いた。
優香は爬虫類が苦手では無い、こんなところも魔王領へと遣わされた落ち人の適性と言える。
蛙族の男は魔王に謁見する者達を案内するだけの役割らしく、待合室へ呼びに来て以降は一言も発言することなく、ただただ優香とラウロの前方でカボチャパンツをふりふりさせながら歩いていた。
そして先程の口上を終えると、謁見の間の入り口脇に控えて姿勢正しく魔王のいるであろう前方を直立不動で眺める置物と化した。
(マスコット感……)
見た目も空気もゴシック感とハロウィン感に溢れた魔王領であるが、意外と可愛いもの好きな人でもハマる世界観かもしれないなと優香は思った。
血のように赤いビロードの絨毯を歩きながらではあるが。
王の前でそれはありなのかわからないが、優香をエスコートするように彼女の腰に手を回して歩いていくラウロの所作は洗練されていて、その空気すらも気品に溢れているものだから優香は空気を読んでキョロキョロするような不様をせずに、静々と大和撫子よろしく着いていったのだが、目の端に映る魔人達の姿にはプレッシャーを感じていた。
頭に角や触覚が生えてる者、蝙蝠のような翼を持つ者、この者達はベースが人族なだけまだいい。
二足歩行の蜥蜴頭は、蛙男とは違って中々の長身なのでなんだか怖いし、お伽話に出てくる巨人のような大男……顔の作りは人族を思わせるのに、口も鼻も顔面積に対して大きめで全体に毛深く、白目の無い氷河のような蒼い眸は表情が全く読めなかった。
その他にも目の端に色々な種族が映ってはいたのだが、理解の外過ぎて認識がしっかりと出来ない。優香は緊張しながらも、ラウロの腕から伝わる温もりだけを頼りに背筋を伸ばして――魔王に対し不敬にならないようにとやや視線を落としつつ歩いていく。
なので、肝心の魔王様の姿は未だに見ていない。
ラウロの歩みが気持ちゆっくりになってピタリと止まった時、優香の腰からその腕が離れて気持ち背中をトンッと押されて何かの合図だと優香は理解した。
目の端に映るラウロが膝を折る予備動作を見せたので、優香も不自然にならないよう最大限に気を使ってみよう見真似で膝を折る。
片膝を付いたラウロに対して、優香は少し考えてから両膝を付く姿勢を取って掌を合わせるようにその上に置いた。
「魔王陛下、紹介致します。彼女が私に遣わされた落ち人――佐々木優香です」
「……うむ、双方顔を上げよ」
――甘く響く、支配者の声だった。
その声音は絶対者としての力を感じる強い響きを持っているのに、聴くものを甘く縛るような艶があった。
優香は緊張しながら顔を上げ、しかし、魔王の胸元までで視線を留めた。
この世界のマナーはよく知らないが、顔を上げろと言われただけなのだから、あちらに自分の顔が見えれば良いのだろう。
興味はあるが不敬罪は怖い。優香はなるべく穏やかに見えるように少し口角を上げたくらいの表情で次の言葉をジッと待った。
しかし、一つだけ気になる事がある。
魔王の、膝で、猫が、寝ている。
何を言っているのかわからないだろうから今一度言おう。
魔王の、膝で、猫が、寝ているのだ。
優香はさきほど作った穏やかな表情のまま固まっていた。
否、なんかスタイリッシュな黒猫とかならまあ、優香だって絵的にアリかな? とか思わなくもない。
仔猫だ……生後何ヶ月? みたいな、ちっちゃな仔猫が魔王の膝でちょこんと座ってウトウトと……いや、やっぱり寝てる。今カクンッとした。
(……なんで、どうして猫? 可愛いのはわかるけどそんな小さな子、こんな所に連れて来ちゃダメでしょ? ストレスのかからない安心できる空間で休ませてあげてください?! )
優香は心の中で全力のツッコミを入れていたが、今この場で現実にソレが出来るはずもなく……表情は微笑みの形のまま、仔猫をひたすらガン見している。
「……優香と言ったか、人族領とくらべ我が領地は貴殿の居た世界とは異なるものも多く、慣れるまでは不自由な事もあろう。魔人領は貴殿への協力は惜しまぬ、何かあればすぐにラウロへ申せよ 」
「……お心遣い感謝致します、陛下 」
もう、返事をしていいのかもわからなかったが話しかけられて何も言わない方がダメだろうと、優香は適当と思われる言葉を返した。
「……さて、貴殿に私のツガイを紹介しておこう。貴殿と同じ『落ち人 』で『同郷 』の者だ。良き相談相手にもなろう――茜、起きる時間だ 」
「にゃ?! ね、寝てないよ?! ワタシ、寝てないよ?! 」
途端――謁見の間の空気が和んだのを、優香は感じ取った。
もう、仕方ないなぁ……そんな言葉が聞こえて来そうな表情がそこかしこにある。
魔王に喉を擽られ、ゴロゴロと喉を鳴らすとアカネと呼ばれた猫は、前脚を伸ばし背中をそらせて伸びをする。
ぴょんっと魔王の膝から飛び降りると、美しいキャットウォークで軽快に優香の足元まで来た。
「はじめまして、『落ち人 』さんの――…… 」
「妃殿下、優香です 」
「ゆーかちゃん! よろしくね! 」
ラウロがすかさずフォローを入れると、その言葉へ被せ気味に挨拶をする……猫。
「よ、よろしくお願いします……あ、茜……さん? 」
優香が挨拶を返すと、猫は満足げにニコーっと笑った。
そしてスタタタターッと魔王の所まで帰ると、再びぴょんと膝の上へ乗っかって魔王の胸へ両前脚をひっかける。
「ねぇねぇ、優香ちゃんと遊んで来ていいでしょ?! 」
「……彼女はまだこちらに来たばかりだ茜。二人を部屋へ案内して、晩餐の後にした方がいい 」
「ああ、そっか! まだまだたくさんエッチしな――むぐ?! 」
魔王は無言で仔猫の口を塞いだ。
そして再び訪れた生暖かい空気、その視線は心なしか優香の方にも向けられてる気がして、一気に羞恥心を煽られた優香が涙目に――
「では魔王様、御前失礼致します 」
――なる前に、ラウロが自身のコートで優香を隠した。
(え、いや、あの……?! 王様から言われる前に帰ろうとするのは失礼なんじゃ?! )
「落ち人は、時に魔王よりも優先される。それに、優香のそんな顔を他の人に見せたくは無いからね 」
優香の思っていた事が伝わったのか、欲しい返事をくれるラウロに目を白黒させながらもエスコートされて優香は謁見の間を後にした。