優香は先程まで本棚に囲まれた場所に居たというのに、目の前に広がるのは霧のたちこめる暗い空間だ。
女神と対話した空間とも似ている、が、あちらは明るくて神聖な空気を感じたのに対して、こちらはじっとりとした湿り気と不気味さが漂っていた。
――その中で香水のようなムスクの香りを感じて、優香は落ち着かないような気持ちにさせられる。
そして気になるのは、優香の周りに張り巡らされた無数の柔らかそうな白い糸。
スッとその糸に触れようとした時――ラウロが言った。
「それは『淫欲の糸』――この空間に於いて、夢魔に欲望を隠す事はできない。どんな敬虔な聖者も、無垢な乙女も、その淫欲を暴かれる。そして俺たちは彼らに一夜の夢をみせることを対価にその生命力をもらうんだ 」
くいっとラウロが骨張った長い指先を一本の糸に引っ掛けると、優香は何故かゾクリとした。
それは不快なものではなく、甘い痺れをともなって優香の身体を支配する。
「対価として過不足無く、均等に、平等に。殺す程に貰いはしないよ、また蓄えてもらって収穫したいから――俺たちがわきまえておかなければ、欲望に忠実な彼らはすぐに絶滅してしまうからね。その夢魔である俺が、魔力を与えるために女性を抱く日が来るとは思わなかった……」
芝居がかった語り口と色気を含んだ声音に振り返った優香は――硬直した。
目の前の男は、先程まで優香と一緒にいたラウロのはずである……しかし、別人がそこにいた。
ぼさぼさでダサかった髪は艶を帯びて後ろへ流され、数束が頰と目にかかっていて――意志の強そうな眉は優しそうに、眠たげな瞳は優香を惑わすような色を含んでいた。
(え……エロい……ッ!! )
はっきり言ってエロい、エロが服着て立っている。
柔らかく胸板のシルエットを刻む、大きめの長袖Tシャツのような服すらエロい。
その黒い服は、生地が柔らかく薄めなのか――刻まれる皺が腰のラインを想像するのに十分な情報を与えてくるし、その下に伸びた長い脚はモデルのようだった。
長袖から覗く指先も、筋張った首も、肌のみずみずしさが眩しすぎる。
微笑みをたたえた唇は薄くひらいて、黒曜石の瞳は優香を捕らえて離さない。
優しく香るムスクに頭がぼうっとしてきた優香は「もうどうにでもして」という気になった。
そんな彼女の心など見透かしているだろうに、目の前の淫魔は「それにしても――」と話しを続ける。
「こんなに多くの『白糸』は初めてみるな……落ち人だからか、面白いね? 」
「ハクシ……? 」
「そう『白糸』――女神セレスを妻として禁欲を是とする聖王国の神官に多い糸だよ。自慰行為の時にどんな想像で果てたのか教えてくれる、そしてその数だけこの糸はある」
優香は固まった。
『教えてくれる』だと……?と。
「神官達は本や絵姿を見ながら欲望を果てさせ、淫欲に溺れることのない敬虔な信徒を装う……君は聖職者には見えないけれど、その歳まで男から与えられる女の悦びを知らないのは何故なんだろうね……? 」
「なっ……な、は?! え……ええ?! 」
なんか色々バレている。
優香がセックスで悦い思いをした事が無いのも、自慰行為に耽りまくってむしろ趣味と化していた事も――と、そこまで考えて優香は真っ赤になって慌てだした。
この糸はどこまでラウロに教えてしまうのだろうかと。
一人暮らしには広めの自室を思い浮かべた。
本棚に所狭しと並べられたエロ本の数々、18禁CDのコレクション、あらゆるラブグッズ 。
自分が死んだと女神に聞かされて、一番最初に確認とお願いをしたのはアレらの処分だった。
ちなみに全て優香のアイテムボックス的な何かに入っている。
女神がすぐに優香の部屋から移動させてくれたのだ。
アイテムボックスの中身を一つ一つ確認して終わってから、やっと優香は女神の話を聞くという狼狽ぶりであった。
このアントワールで『亜空間魔法』とやらが使えるようになったら取り出せると女神が言っていて……ちょっとニヤリとしてしまった優香だった。
そんな彼女を女神は見なかった事にして、異世界転移の概要という本題へと入ってくれた。
優香の中で女神はなかなかに好印象である。
目の前のラウロには、優香がこれまでどんなおもちゃでどんな事をして、どんな本をオカズにしていたかもわかってしまうと言うのだろうか……?
不安と恥ずかしさで真っ赤になった優香を見て、ラウロは甘く微笑んだ。
「安心していい、君は他でもない『淫魔の落ち人』だ」
カツンとラウロは一歩踏み出す。
「俺は、君の――全ての欲望を叶えられるよ 」
パチンッと彼が指を鳴らした次の瞬間、優香は豪華なレースの天蓋付きベッドの上に寝転んでいた。
「え…… 」
そこは澄んだ空気が広がる森の中だった。
拓けた場所の中央へ置かれたベッドの上で、星空の下、月明かりだけではっきりと隣に座り優香を見下ろすラウロの顔がハッキリと見える。
「女神セレスが定めた俺のツガイへ、永遠の愛を誓う。優香――本当なら君の望むよう、お互いを知る時間が欲しいところだけれど今は時間がない 」
つうっと優香の唇をラウロの指先がなぞり、じっと優香を見つめてゆっくりと覆いかぶさった。
――どくんっ
それだけで優香の身体は甘く痺れて呼吸が浅くなる。
ラウロは優しい手つきで優香のメガネを外した。
「女神セレスは夢魔の欲まで見通せるらしい、ずっと――君のような女の子に出会いたかった 」
そう言って優香の額へ柔らかな唇を落とすから、優香の身体は一瞬でふにゃふにゃになってしまった。
(お、オデコに……おおおおおオデコに……ッ!!)
「ッ――! 」
身悶えてゴロゴロと転げ回りたい衝動に駆られるが、瞼へ頰へと降り注ぐソレにそんな余裕もすぐになくなってしまう。
ラウロの大きな右手が優香の頰に添えられて、愛おしいものに触れるように柔らかく親指が目の下をゆるゆると撫でてくる。
優しげに見つめられながら、前髪を梳かれ、こめかみにキスされた。
「俺のツガイ、俺の為だけの女性――俺も貴女の為に在ると誓う 」
「――んっ!? 」
眠たげな瞳が閉じられ、口付けられると痺れるような快感が走った。
柔らかな唇は、優香のその感触を味わうようにただすうっとなぞり、ちゅっ、と軽く吸われては下唇を軽く食まれて舌先だけでいたずらに舐められた。
「ふぅっ、ん……ぁ……」
目を閉じるタイミングを見失って蕩けた瞳をラウロに向けると、時折薄く開かれた彼の黒曜石が優香を見つめてくる。
優香はこんなキスを知らない。
優香の知るキスは、尖らせた硬い唇に自分の唇を潰されつつ無遠慮な硬い肉の塊が口の中に侵入してきてそれに舌を小突かれ邪魔と言わんばかりにベチベチと押しのけられるというもの。
当時は「なんでみんなこんなものするんだろう」と思ったものだ。
ラウロの柔らかな舌が優香の舌をなぞった時、眩暈のするような快感が脳を支配した。
鼻から抜けるような甘い声が漏れ出ては、角度を変えて軽く吸われた。
ジワリと優香の視界がにじむ。
(すごくきもちいい……なんで……彼が『運命のツガイ』だから……? それとも、夢魔だから……? )
夢魔は本来――術をかける対象の『想い人』に化けて抱き、生命力を根こそぎ奪うというものだった。
その方が相手のありとあらゆる官能を引き出せるし、快楽漬けにして情報を聞き出す作業も効率的に出来る。
ラウロは魔王軍の幹部として、今よりずっと若い頃はそういった仕事もしていた。
しかし今の魔王が不戦を宣言してからは、夢を渡り歩く諜報活動が主な仕事で、あとは『食いたい時』に希望する者へ淫夢を見せて自分は食事――生命力――を頂く。
食事程度、彼の能力をもってすれば抱く必要は無い。
彼の魅せる官能の世界に、ヒトは勝手に生命力を捧げてくれる。
術の対象者が気をやった時に漏れ出る生命力、それを少々失敬するだけで良い。
女を抱く事――ラウロにとってもこの行為はずいぶんと久しぶりの事だった。
それでも――淫魔。
優香のようなセカンドヴァージンが太刀打ち出来るものではない。
スルリと、髪に差し込まれたラウロの指先に優香は震えた。
口の中をクチュクチュと這い回るそれが『気持ち悦い』を与え続けてくる。
(ああ――きもちぃ……)
あまりの快感に、先程から自身のアソコがひくついているのがわかる。
日に一度――多い時は何度と慰めてきた自分のあの場所を、今すぐこね回してイッてしまいたい。
ラウロにキスされながらオナニーしてしまいたい。
匂い立つような色香を放つ男に口内を犯されながら、思考が快楽だけを追っていく。
「んんんッ……ふぅんッ、ぁ……んあっ! 」
ビクビクっと優香の身体が跳ねた。
胸が甘く締め付けられるような余韻――優香は戸惑いに目を見開いた。
「すごいな……口付けをこんなに甘く感じたのは、はじめてだ 」
その言葉に釣られるようにラウロへ視線を戻した時、驚いた優香の喉が鳴った。
何故なら――彼の黒曜石が熱い情欲を纏っていたから。