39.白狼とそのツガイ

――戦場に、狼の遠吠えが響き渡った。

「えっ?!うぉ?なんだ?!」

 バッハシュタインの私兵から借り受けた白い狼の背に乗り、戦場を駆けながら回復魔法を行使していたヨナスが相棒から振り落とされた。

『愛し子が呼んでいる、貴様は街へ戻れ。愛し子の邪魔だ』

「え?!でもまだ――」

『問答無用!さっさと行け!!』

 そこそこ大きめの狼に鼻先を突き付けられて怒鳴られ、ヨナスは「は……はい……」と返事するしか無かった。

 見れば其処此処で神官達が狼に振り落とされ同じような事を言われている。

『貴様ら冒険者もだ!早くしろ!』

「なんだい!アタシ等に逃げろってのかい――」

 ビキニアーマーのおばちゃんが狼に詰め寄ろうとしたその時――バババババッと辺り一面に聖印が出現した。

「なっ?!これは……」

 副ギルド長のイストールが瞬時に警戒の構えを取ったと同時、聖なる光が辺りを覆い尽くした。

 途端に広がった聞き苦しい慟哭の数々。

「なんだいこりゃあ……こんな……」

 おばちゃんが目を丸くして辺りを見渡し、その隣で親父が油断なく生身の魔物を警戒しているが、魔物達も突然の事にさすがに狼狽えているのか隙だらけだ。

 イストールは一瞬にして敵の半数を討ち取ったこの手腕に覚えがあった。

 以前、南の領地で起こったスタンピード、あの時と全く同じだと。

 あの時――奇跡を起こしてこの国の王に勲章を賜った天才。

 こんな事が出来るのは、こんな圧倒的な力を持つものは――

「イストールさん、冒険者の皆さんを街の中へ戻して下さい」

 人垣を割って現れたのは、巨大な白狼に乗った女性。

 上質なモスグリーンのローブを目深に被った女性が誰なのか、イストールはすぐに理解した。

「……もう、問題は無いのですね……?」

「……はい、直ぐに終わります」

 見つめ合い……少しの静寂の後、イストールは紙鳥を取り出した。

「全ギルド職員へ通達、冒険者及び非戦闘員を速やかに街中へ誘導して下さい。繰り返します、冒険者及び非戦闘員を速やかに街中へ。殿しんがりは私と元B級パーティ『ムスタング』が務めます」

 イストールが職員への伝達をしている時、ビキニアーマーのおばちゃんと親父夫婦は白狼から目が離せないでいた。

「おい……その布は……『ワンコロ』か……?」

「それより、乗っているのはジークと来た娘じゃないのかい……?」

 思わずと言った風に二人が白狼に手を伸ばすと、白狼はその手を受け入れた。

『……俺のツガイだと言ったはずだ。毎日食べに来いと言ったのも、そこの親父だろうが』

 白狼が喋った事に、急ぎ撤退の準備に入っていた冒険者達は気付かない。

 ただ、夫婦だけはこの声と言葉の意味を理解した。

 ――引退したら店を開くんだ、このレイアにな!その時は毎日来てもいいぞ!

 そう、遠い昔の一方的な口約束。

『コレが終わったら、また明日にでも食べに行く。さっさと帰って仕込みしろ』

 先程までの絶望的な状況など知らないといった白狼の言葉に、夫婦は目を丸くして――笑い出した。

 ――駆ける

 ――駆ける

 ――駆ける

 ――駆ける

 大きな白狼はツガイを背に乗せ、白狼の群れを引き連れ、戦場をひた走る。

 遠距離魔法を駆使して次々と魔物を屠る。

 咆哮は地を震わせ、彼等に恐怖を植え付けた。

 動きを止めた魔物達に白狼の群れが容赦なく襲いかかる。

 やがて南に居た魔物達は恐慌状態となり散り散りに逃げ出しはじめた。

 それでも鳴り止まぬ爆音――二度とこの地に来ようなどと思わぬように、骨の髄まで恐怖を植え付けるが如く。

 ――圧倒的だ

 殿を務めていたイストールと夫婦だけが魔物達が恐怖するその光景を眺めていた。

 神々しいまでの白を持ちながら鬼神の如き強さを見せつける狼は、まるで神話にしか語られない神獣フェンリルを思い起こさせた。

「アンタあれ!」

「ッ――ドラゴンか?!」

 夫婦の言葉にイストールは鬼神から目を離し上空を確認する。

 聖白竜が光の粒を纏いながらレイアに向かって高度を落として向かってきた時だった。

 聖白竜は北に向かってブレスを解き放つ。

 そうだ、北の戦場は一体どうなっている?彼方はバッハシュタインの私兵と王国騎士団団長クリストハルトがいる。こちら程酷い事にはなっていない筈だが――

 聖白竜はブレスの後、クンッと後方へ伸び上がると進路を変えて東門方向へ高度をギリギリまで下げて来て――その背中に大きな白狼が飛び乗った。

 先程まで近くにいた筈の白狼はその背中に女性を乗せたまま聖白竜と北へ向かって飛び立った。

 後に残ったのは砂に覆われたような魔物の死骸の数々と、爆発によって掘り返された無残な地面。呻き声一つ聞こえない死屍累々の惨状。

「彼等の許可があるまで私たちも一度壁に登りましょう」

 イストールの言葉に夫婦が一つ頷いた。