「南と北に行かせるな!戦線を維持せよ!!」
騎士団長クリストハルトの怒号のような指示が飛ぶ。
それと同時に、彼の振るったハルバードから閃光が飛び、向かって来たアンデッド達を鎧袖一触に討ち亡ぼすが後から後から湧いてくるアンデッド達は再び彼へ間合いを詰めて来た。
「――クッ!」
懐から大量の魔石を鷲掴んで取り出し、一瞬にしてその魔力を吸い上げるとただの石ころと化したソレを投げ捨てた。
額には玉のような汗が浮かび、騎士服は泥と血糊に塗れている。
「クリストハルト様!数が多過ぎます!」
騎士服に身を包んだ美しい顔の青年が油断なく構えながらクリストハルトの脇へ控えた。
「アンデッドだけならやりようもあったものを――!」
今、東の壁にはアンデッドと生身の魔物の混在した大群が押し寄せていた。
強力聖印を刻める神官がユリウスとその落ち人である妙子だけだとは言え、今なら聖水の泉がある。
これは魔物にとっても気持ちの良いものでは無いらしく、約二千の魔物が南と北に別れ進軍を始めたのを見て南を冒険者ギルドへ任せ、クリストハルトはバッハシュタインの私兵を引き連れ北の護りに入った。
何かあるとは思っていても、こんな数の魔物がバッハシュタインの索敵を掻い潜るなどあり得ない事だ。
そう――奴らはなんの前触れもなく突然現れた。
レイアの東壁の上に居たクリストハルト達は其れを見た。
突如空間が裂け中からわらわらと魔物が出てきた絶望の光景を。
クリストハルトはその光景を「あり得ないもの」と思っていた。
空間の裂け目を使えるのは魔人の中でも魔王の側近以上の者と言われている。
いくら魔王の求心力が弱まっていると思われても側近クラスが単独で人族領へ侵略行為をするとは考えられない。
となれば此は魔王の意思か。
落ち人を戴きながらも、それ以上に領土拡張する事に旨味があるとでもいうのか。
それも、魔人領から遠く離れたこのレイアを手に入れる事に何の意味があるというのだ。
そして、あり得ない事がもう一つ。
此度の事態を引き起こした犯人は、例の死竜に乗ってレイアに向かっていると報告された人間だとクリストハルトはみていた。
この場に裂け目が生まれたという事は、その犯人は近くにいると言う事ではないか。
それはA級冒険者ジークが奴に敗北したという事では無いのか。
つまり、頼みの綱のA級冒険者はレイアに戻らないという事――
「――魔力ポーションの切れたものから一旦戦線を離脱!回復次第、冒険者ギルドと合流!なんとしても南は衛れ!!」
「団長?!北は――」
何を言い出すのだと脇に控えていた美しい青年が驚愕を浮かべ詰め寄った。
「ギルド長に広域魔法の準備をと伝えろ!」
なおも何かを言い募ろうとした青年だったが、クリストハルトの身に浮かび上がった濃密な魔力を感じて反射的にその場から飛び退いた。
クリストハルトが振り被って地面に拳を叩きつけた瞬間、彼を中心に巨大な植物の根が走るように広がり――目にも留まらぬ成長を遂げ、無数の人型植物が現れる。
青年は嫌な予感がしてクリストハルトに掴み掛かろうと腕を伸ばし――しかしその腕を植物に絡め取られると強引に戦場の外へ投げ出された。
「――私の落ち人は既に魔力定着を終えている、問題ない」
彼のその言葉は押し寄せる魔物によってかき消された。
――――
「ドラゴンは居ないんだ!気楽なもんだろう!」
レイアの東壁、その南ではビキニアーマーのおばちゃんが巨大なモーニングスターを振り回しながら次々と辺りを血の海に変えていく。
「E級以下は前へ出るな!怪我人を運べ!神官はD級の援助を!ッイストール!!」
「はい、わかってますよ」
戦場の一角で爆音と共に火柱が上がる。
おっさんが凄まじい速さで戦場を駆け愛剣を振り回しては指示を飛ばしていき、彼の指示で魔物が固まった場所を狙って其処此処に爆発を起こしているのは副ギルド長のイストールだ。
「おいイストール!あの亀裂をどうにかしねぇ事には埒があかないぞ!」
「そちらにはユリウス様と妙子様が向かってますよ、先ほど私も仕掛けましたが物理攻撃ではどうにもならないですね」
「ギルド長の魔法は?!」
「亀裂がいくつあると思ってるんですか、何より無差別に現れては消えてまた他の場所に出現する物に無計画に広域魔法を使えないでしょう。アレを出現させているのが魔人なら魔物は無限ではありません、最悪、亀裂が塞げなかったとして広域魔法を使うとしたら出し切って貰ったところを魔物を一箇所に集めてからですね」
「今は打つ手なしか!」
「副ギルド長!負傷者が定数を超えました!ユリウス様に合図を!」
おっさんが言い捨てて戦闘へ戻ると、今度はギルド職員から副ギルド長イストールへ紙鳥が来た。
「もう少しお待ちなさい、ユリウス様も既に限界のは――」
その時、冒険者のドッグタグが光輝いた。
ユリウスの回復魔法の予備動作だ。
範囲回復魔法ではアンデッドならば消滅に追いやる事が出来るが、生身の魔物の場合一緒に回復してしまう。
冒険者ならば必ず身につけているドッグタグの識別魔力を捉えて保持者の回復を促すオリジナル魔法だ。
以前もスタンピードに駆り出されたユリウスが考案したものである。
「……少し、ユリウス様が心配ですね」
誰が聞くでもない呟きをイストールが漏らした。
――――
「ユリウス!ねぇ、ユリ?!しっかりして!」
東門の上空を飛ぶグリフォンの背中から妙子の悲痛な声が響き渡った。
グリフォンの背中でグッタリと倒れ込んでいるのはユリウスだ。
もともと白い肌は青白く、じっとりと汗をかいている。
長い睫毛が伏せられ、浅い呼吸を繰り返していた。
「魔力切れとポーションの飲み過ぎによる中毒症状だ、儂のポーションだろうと容量を遥かに超える使い方をすればこうなる」
ユリウスが召喚したグリフォンの大きな背中の後方へ相乗りしていたのは、リリーの祖父で錬金術師のジベットだ。
不機嫌そうな顔を隠そうともせずそう言い放ったマフィア顔のジベットに、妙子はハッとして振り向いた。
「これは魔力切れでこうなってるのね!?」
「……中毒症状もあるが、それがでかいだろ――おい?!」
ジベットに確認を取った妙子はすぐさまユリウスの顔に両手を添えると――口付けをした。
口を割らせて舌を差し入れユリウスの震えるソレを絡め取ると見よう見まねではあるが少しずつ自分の魔力を流し込む。
(ずっとユリウスから魔力を貰って来たんだもん、その逆だって大丈夫な筈――)
気を失っているユリウスの唾液を吸い上げ飲み込みながら、魔力を送り込む。
(……もしかして、セックスした方が早いのかな……?でも私に突っ込むもの無いしな……吐き出すもの、は……却下だ。可愛いユリをこのお爺さんに見せたくないし)
そんな事を考えながらもひたすら魔力を送り続けていると、ユリウスの舌がピクリと動いて芯をもった。
妙子の視線のすぐ側にある瞼が揺れている。
妙子はゆっくりと唇を離し、濡れてしまったユリウスのそれを親指で拭った。
「ユリ……?大丈夫?」
「た……えこ……?」
顔色を取り戻した美貌の麗人は頰を上気させて妙子を切なげに見つめた。
妙子はユリウスの頭を優しく撫でてやる。
「無茶したらダメだよユリ、次に要請が来たらユリの意識を刈り取ってでも私がやるからね?」
優しい手とは裏腹に存外過激な事を言う妙子にユリウスは目を丸くして――叱られた子どものようにただ首を振ったが妙子は優しく微笑んで返すだけだった。
「おい、そろそろはじめていいか?まあ、勝手にはじめるがな」
ジベットは二人を尻目に亜空間からポーションの入ったガラス瓶を取り出すと無造作に投げ落とした。
そのガラス瓶は重力に従って降りていき――魔物の湧く、あの亀裂に当たって粉々に砕け散った。
内容物――ポーションが亀裂に振り降りかかる。
すると、空間の裂け目のようにその場に存在していた亀裂がポーションに触れた先から溶けるように無くなって行く。
「フンッ」
ジベットはさも当たり前の結果を目にしたとばかり鼻を一つ鳴らしただけで、次から次へとポーション瓶を亀裂に向かって投げて行った。
彼のその動きに合わせるようにグリフォンは亀裂のある場所へ移動していく。
ジベットが繰り返しただの作業のように亀裂を塞いでいたその時――ゾワリと鳥肌の立つようなプレッシャーを感じて自らの居る場所よりも上空へ振り仰ぎ――
「ジベットさん捕まって!!」
妙子の声がしたと同時に目に飛び込んできたものを見てジベットは腰を抜かしそうになったのをグリフォンにしがみつく事で誤魔化した。
「グリフォンちゃん!全力離脱!!」
妙子の叫ぶような指示にグリフォンが身を傾けてその場から凄い速さで離脱した。
ジベットが見たもの、それは――
――――巨大な亀裂から現れたアンデッドドラゴン
A級冒険者ジークが倒しに行った筈の脅威が、レイア目掛けて猛スピードで飛び出て来た瞬間だった。
――――
東壁の上、戦場が全て見渡せるこの場所でゴットハルト・バッハシュタインは戦っていた。
額に玉のような汗をかき、瞼を閉じてレイアの街を守る結界を操作している。
壁に張り付く魔物があれば聖水を巡らされた根で攻撃し、今まで使っていた水脈が巨大な水脈と繋がってしまったが為に起きた地層の調整など、レイアを守る植物結界と一体化して――護る事――それだけを考えていた。
イスターレの宝石『レイア』は、代々バッハシュタイン家が護り発展させて来た街だ。
美しい街並みは勿論のこと、バッハシュタイン領の民は心豊かで優しさに溢れている。
子はよく泣いて、女はよく笑い、男はよく働き、老人は穏やかだ。
バッハシュタインを継ぐ時の誇らしい気持ちをゴットハルトは忘れた事など無い。
この領を護り、豊かにし、発展させていく、延いてはイスターレの安寧の為。
私の代で、街に魔物を入れるなどと言う失態を犯すものか。
「――私はッ!ゴットハルト・バッハシュタイン!イスターレの守護者の名を冠する者也!!」
――――ザッ……と、上空へ向けて数十本の鋭い蔓が一瞬で伸び上がり、飛来して来たモノを貫いた。
ワイバーン十数匹は一瞬で絶命し――
ゴットハルトの真上で貫かれている死竜の眼が、ギョロリと彼を捉えた。
コオォォォオオ――と、ガバリと開かれた死竜の口めがけて暗い魔力の光が吸い込まれていく。
ブレスの予備動作。ゴットハルトはその射程に自分がロックオンされ、我が身の背後にあるのは街の外だと確認――
「ゴホッ……」
したところで吐血しその場に膝を折った。
『魔力切れ』
しかしその状態は明らかにユリウスより悪かった。
目の前のドラゴンが今にも絶命寸前で、ブレスなど吐けば無事では済まないだろう事だけが救いだとゴットハルトは既に焦点の定まらない瞳をレイアの街へ向けた。
最後に、一目見てから逝きたかった。
その横では死竜がブレスの予備動作を終え――
「――無茶すんな爺さん」
近くで聞こえた青年の声にゴットハルトが思わず振り向く。
――ギャアアァァァア
神々しいまでの白を持つ巨大な狼が、死竜の喉元へ食らいついていた。
肉を噛みちぎり、核を噛み砕き、串刺しになっている死竜の巨体に体当たりすると死竜は壁から落ちる途中で先ほどのブレスを暴発させたのかその身を飛散させて砂と化した。
ゴットハルトの目の前に降り立った白く巨大な狼。
その腕には、彼の魔力色――赤色をした布が巻かれていた。
そしてその布には他でも無い、バッハシュタインの家紋が刻まれていた。
まさか、と、思う。
丘の上で弱り切って今にも死にそうだった子狼を思い出す。
子供達の遊び部屋にしていた小屋を与えて、たった一年共に過ごした狼の子。
首輪を付けられるのは嫌がるだろうと布を腕に巻くと言ったら、受け入れた聡い子狼。
レイアの民に愛されて、それでも旅に出ると……律儀にも自分に伝えに来た子狼。
「……借りを返しに来た、アンタはもう休んでろ」
大きな白狼は背中に一人の女性を背負いながら、戦場へと駆け出した。