25.レイアとギルドと落ち人さん

 レイアの冒険者ギルドはイスターレ王国の中に置いて、その立派な石造りの建物自体はとても大きくはあれど、高ランクの冒険者があまり寄り付かない事でも有名だった。

 この領地を治めるバッハシュタイン辺境伯家が武門である事に起因する。

 西側に位置する獣人国だけでは無く、西南の隣国ギャリエンヌ公国とも国境が面している。

 しかもイスターレを含む三国の真ん中には魔物の潜む広大な樹海まであるのだ。

 そんな中、古くは獣人達との小競り合いから始まり、ギャリエンヌ公国が巨大な帝国の一部であった頃に生じた戦争の数々、スタンピードにダンジョン対策。

 何か起きれば、一も二もなく立ち上がり国の壁となって来たバッハシュタイン領。

 バッハシュタインの古い歴史、その年輪の数だけ伝説が生まれた。

 一騎当千の騎士バッハシュタイン――

 希代の軍師バッハシュタイン――

 戦う仕事に事欠かなかったバッハシュタイン家の人間がその名を冠したのも必然と言える。

 そんな彼等はあらゆる状況に於いて、最善最速を尊ぶ。

 バッハシュタインが各国へ潜ませている影が戦争の兆候を掴めば、事が起こるよりも早く勝利の道筋を描き出し、スタンピードの兆候あらば冒険者ギルドよりも早く私兵が動く。

 冒険者ギルド的には商売上がったりなのだ。

 まあ、そんな背景を考慮してか、冒険者ギルドレイア支部は立地も敷地も他に類を見ないほど優遇されていたし、低ランク用の依頼は常時バッハシュタインから出されている。

 一応体裁的には持ちつ持たれつではあるものの、高ランク冒険者にとって旨味のない仕事ばかりというのも事実。

 魔物の集団暴走――スタンピードを事前に防げなければ、王国を通して高ランクをかき集めるのだが、ここ数十年はそんな事も無く。

 結果、駆け出し冒険者や引退後の隠居生活を楽しむご老人、獣人国やギャリエンヌ公国からの輸入品目当ての商人、風光明媚な街並みを目当てに観光へ訪れる貴族など――絵に描いたような平和な街並みが実現したのだった。

「――と、まあ、バッハシュタイン家の強みはその行動力だけじゃ無いよぉ?緑の精霊に愛されているのだって、他の貴族からしてみたらもんの凄い脅威だろうしねぇ。あと、定期的に『落ち人様』を戴く類希な名家としても一目置かれてるみたいだよ」

 希美子達は今、これから来ると言う王国騎士団長の実家――このレイアも領地の一部として治めているバッハシュタイン家についてギルド長から説明を受けていた。

 貴族に落ち人、ギルド長にA級冒険者と身分も立場もバラバラすぎる為か円卓の会議室に希美子達は通された。

 ギルド長、ジークヴァルト、希美子、妙子、ユリウス、その隣に二つ空席がある。

 即座に希美子の隣を陣取った妙子に、ジークヴァルトは少し眉間の谷を深くはしたものの、一つため息をついてユリウスを睨みつけた。

 ――しっかり見張っていろ。という事らしい。

 美貌の麗人はやれやれと言った風に肩をすくめただけだったが。

 騎士団長の説明とは言っても、ジークヴァルトもユリウスも面識があるようなので、主に希美子と妙子に対しての説明である。

「今から来るのはバッハシュタイン辺境伯の三番目のご子息、クリストハルト・バッハシュタイン様と彼の『落ち人様』のアリス様」

 噂に聞く『落ち人様』の名前を初めて聞いた希美子は首を傾げた。

(……アリス様……?うぅーん……まあ、いない事も無いだろうけど、偽名っぽいなぁ……?)

 ちらりと希美子が妙子を見ると、どうやら彼女も同じ事を思ったらしい「不思議ちゃんの可能性が微レ存……」などと呟いている。

「今回ジーク君がキャンセルせざるを得なかった依頼は責任を持って冒険者ギルドが……っていうつもりだったんだけどね」

 そこまで言ったギルド長は、チラリとジークヴァルトと希美子達を見ると一つため息をついて背もたれに寄りかかった。

「どうも、そうは言っていられない状況みたいなんだよね」

「……どういう事だ、不可侵の不文律とやらも無視する状況だとでも言うのか?」

 希美子は何もわからなかったが、何か嫌な予感に身体を強張らせた。

 ジークヴァルトがツガイの「不安の匂い」を感じて円卓の下で、希美子が膝の上に置いていた手をトントンと撫でた。

 ――大丈夫だ

 ジークヴァルトの声が聞こえた気がして、希美子は戸惑いながらもその横顔に頷く。

「……ワイバーンの群れが活発化していると各地から報告があってね……まあ、全部イストール君からの報告なんだけど……あ、イストール君って昨日一緒に居たコね?わかるかな?」

「あっ、はい、わかりますっ」

 突然水を向けられて希美子はコクコクと首を縦に振った。

「ワイバーンだけじゃない、魔の樹海全体が騒ついているって言うんだ。いつもならこんな事になる前にバッハシュタイン辺境伯の私兵が動いてる筈なんだけど、報告を受けて直ぐに問い合わせたら一昨日まで何の異常も無かったって言うんだよ」

 その言葉を聞いていち早く反応したのは希美子だった。

 ガバリと顔を上げる。

 一昨日――私が、この世界に来た日……

「……おい、言い掛かり付けるつもりなら帰るぞ」

「ああ?!待って!そんなつもりは無いよぉ、僕らも目下調査中なんだからさぁ……」

 不機嫌にそう言って立ち上がろうとしたジークヴァルトを慌てた様子でギルド長が止めた。

 しかし、このギルド長。見た目は筋肉ダルマのおっさんなのに何とも威厳がない。

「憶測だけで言うなら色々あるとは思いますが、それは彼等の仕事ではありませんよジーク。そうですよね?ギルド長」

「……え、うん、そうだね!」

 さり気なくグサッと釘を刺すユリウスに、痛い腹は無いつもりなのに何故かギルド長は腹が痛い気がした。

「それから気になる事があるんだ……どうやら、魔獣の動きが不自然みたいでね、樹海を中心として公国とイスターレ王国側に群れが点々と見られるのに対して獣人国には不自然な程ソレが見られないようなんだ。注意を促す意味でも獣人国のギルドに問い合わせてみたんだけど、向こうも何でなのかわかってないみたいでね……」

 冒険者ギルドは世界各地に点在している独立機関。獣人国が何かを企んでいたとして、もしそれに協力しているようなら冒険者ギルド自体の信用問題に関わるし、最悪、関係各国の圧力によってギルドが分裂――解体の危険もある。

 この場合、獣人国にある冒険者ギルドが意図的に情報を隠している可能性は低かった。

「今の状況、一昨日まで何の兆候も見られなかったとしたら逆に言えば明後日には何がどうなってても不思議じゃないんだよね、すでにイストール君がC級以上の冒険者に緊急依頼という形で召集をかけてはいるし、間引きも始めてはいるんだけどね……」

 そこまで言って、ギルド長は視線を円卓へ――困った顔でため息をついた。

「……それで、俺を呼んだのはコイツを連れてレイアから避難しろとか言う為じゃ無いんだろう?その兆候とやらがスタンピードなら、アンタがどうにかするって訳にもいかないからな」

 そう、この レイアの冒険者ギルドには切り札もある。この目の前のギルド長が街に大軍で向かって来た魔物の群れごと辺りを更地に変えて仕舞えばいい。

 しかし、いくらバッハシュタインに緑の精霊の加護があると言えど一日二日で森を元通りにする事は不可能。

 街が当たり前に甘受していた森の恵みが無くなり、採取等で食いつないでいた低ランク冒険者がまず職を失う、町の外に住んでいた者も家を無くして路頭に迷うし、農村への被害も計り知れない。

 何より、取りこぼしをバッハシュタインの私兵や初級冒険者で殲滅しきれる保証も無い。

 イシュターレの宝石レイアは、その輝きを果たして失わずに済むだろうか。

 バッハシュタインにとって想定外の事態――いや、どんな事があってもA級が一人いるだけでそれは本物の切り札に成り得た。

 バッハシュタインにとって本当に想定外だったのは、神殿嫌いのA級冒険者――『ジーク』に『落ち人』が遣わされたという事。

 この最悪の事態に切るはずだったカードが、するりとその手から、他でも無い女神によって奪われた形だ。

 彼等バッハシュタインを、栄光に導いて来たはずの女神の手によって――

「強制と言う形は取れない――」

 ジークヴァルトの言葉に答えたのは、ギルド長ではなかった。

「バッハシュタイン領領主――ゴットハルト・バッハシュタインの名代として、A級冒険者ジークとその落ち人である希美子様にお願いしたい」

 会議室の奥の扉を神殿の少年フェリクスが開き、その脇に控えた。

 するとその扉の向こうから、圧倒的な存在感を放つ男が姿を現した。

「あなた方に、このレイアを救ってほしい」

 騎士服に身を包み、ダークブロンドの短い髪を後ろに撫で付けた精悍な男前は、何処か甘く優しげな表情をしていた。