「『落ち人申請』?」
「――ああ、しとかねぇと色々と面倒だ。今ならこの王国の貴族にも神殿にも落ち人が居るらしいからな、お前が面倒事に巻き込まれる確率は……常識的に考えれば無い」
希美子とジークヴァルトの二人は、ログハウスのリビングで朝食を食べていた。
この世界の台所の勝手が希美子にわかる筈もなく――手際よく準備してみせたのはジークヴァルトだった。
魔道具だという食材ボックスから次から次に出てくる食材に希美子は驚いた。
卵にミルクにバターにレタス、トマトに玉ねぎ、小麦粉とベーコン。
希美子にとって此処は異世界だと言うのに、ラインナップに違和感が無さ過ぎた。
野菜の形や果物の色が微妙に異なるくらいで、品種の違いだと言われてしまえば異世界というよりも、海外に来たという程度の食材事情であった。
その事に希美子が衝撃を受けている間に、ジークヴァルトによって手際よく作られて行くスクランブルエッグにサラダ、そしてパンケーキ。
食材に違和感は無いと言うのに、パンケーキを作るジークヴァルトに違和感が大急ぎで仕事しだした。
(不機嫌系、狼獣人ジークヴァルトが……パンケーキ……パンケーキ……)
「……あ?どうした希美子」
「いえ、萌えが限界突破しただけですのでお気になさらず……」
キッチンの隅に崩れ落ちた希美子にジークヴァルトは元からある眉間の皺を更に深くしたが、理解出来そうに無い事を察すると早々にスルーする。
「ジークさん!何で今!尻尾と耳が無いんですか!!ここは絵的に必要な所ですよ?!」
「……うるせぇな、急に怒鳴るな」
「ああん!もう!あとエプロンも足りません!お料理出来る系男子を自称するなら絶対に必要な装備ですよ?!布さえあれば私が作りますから!後で下さい」
「おい、その棚の上に皿があるから持ってこい」
ジークヴァルトはスルーする事を覚えた。
希美子は身悶えながらもジークヴァルトに皿を差し出しつつ、その皿に美しく盛られて行く料理という名の芸術に再び衝撃を受けた。
「なんですか!コレは!イ◯スタ映えですか?!カフェご飯ですか?!ってか、この色取り取りのフルーツは?!ビタミンカラーのドレッシングなんて、いつの間にだしたんですか?!」
「わかったから、さっさと持っていけ」
ぺしっと軽く頭を叩かれて、肩を落としながら皿をテーブルへ運んで行く希美子だったが、右手にグラスを二つ左手に果実水を持ってきたジークを見て再び――
「オシャレカフェのイケメン店員さんかな?!」
「うるせえ、さっさと食え」
叫んだが、発言に関してはスルーされた。
ジークヴァルトのスルースキルが上がって行く。
そんな遣り取りを経て、やっと落ち着いてきた希美子に切り出したのが冒頭の話だった。
「申請をしないと面倒な事になるって言ったけど何で?」
「……象牙色の肌は、少なくともこのあたりじゃ『落ち人』にしか見られない特徴だ。馬鹿な奴らがお前を攫ったりして、そいつらの『落ち人』だと主張された時――登録が無ければお前が死ぬまで奴らの主張の間違いを否定出来なくなる」
ジークヴァルトの言葉に希美子は目を丸くする。
「え、だって、魔力回路が……いきなり死ぬわけじゃないんでしょう?具合悪くなったりして……その段階でどうにか……」
「従属の魔法で発言を制限して、本人に都合の悪い事は言わせずに『風邪をひいた』、『骨を折った』、なんとでも言える。実際そんな事があったらしいとも聞いた」
(こっ……怖っ?!!異世界こわっ?!!)
「俺はお前を奪われるようなヘマをする気は無いが、この先何が起こるかわからねぇからな。用心する事に越した事はない」
希美子は首が外れるのでは無いかと言うほど激しく何度も首を縦に振った。
「それから、街には俺も少し野暮用がある」
「……?野暮用……?」
希美子がおうむ返しするが、ジークヴァルトは少し間を置いて「片付けたらいくぞ」と、席を立ったので、希美子は慌てて後に続いた。
「せめて!!せめてお皿は洗わせて下さいいいい!!」
「アホか、魔法でやるから要らん。下げてこい」
希美子の悲痛な叫びがこだました。
彼女が……生活力のあり過ぎるジークヴァルトの役に立てる日はまだ遠いらしい。
――
――――
――――――
二人が訪れたのは、イスターレ王国の街レイアであった。
高い城壁に囲まれた街の中は三角屋根が連なるカラフルな家と、その軒先には住人達が丹精込めて手入れした花壇が並んでいた。
小高い丘の上には、国で二番目に大きな神殿があり、街の中心には数代前の領主が造らせた大きな噴水と、それを囲むように引き馬車をアレンジしたと思われる可愛らしい出店が立ち並んでいた。
活気ある風光明媚なこの街には、観光に訪れる者も多い割に治安も良く、この街を治める領主――バッハシュタイン辺境伯の手腕を窺わせた。
「す、凄い……絵本に出てくる御伽の国みたい……」
希美子は、目の前の街の光景にただただ感動していた。
(異世界って……もっとこう、実は不衛生だったりするなかなって思ってたけど……ガチ中世ヨーロッパとは、やっぱちょっと違うんだな……)
ヨーロッパの方々から、ひんしゅくを買いそうな事を希美子が思いながらキョロキョロしていると、その頭をガシっと掴まれた。
「田舎者丸出しだ、少し落ち着け。ただでさえ目立ってんだ」
「いや?!目立つ格好させたのジークさんですよねぇ?!暑いとまでは言わないけどゴワゴワしてて動きにくいし、前もよく見えないんですが?!」
希美子は今、濃いベージュの長いローブに身を包んでいて、目元は影になっているし、鼻と口は布で覆われているという不審者真っしぐらな格好をさせられていた。
「服なら後で買ってやるが、神殿まではその肌は隠してろ。面倒事は御免だ」
「うっ……うう……はい……」
自分が面倒事だという事はさすがに自覚している希美子はジークヴァルトの言葉に大人しく従った。
「…………」
明らかにちょっとシュンとした希美子の頭をローブ越しにポンポンと撫でたジークヴァルトに促されて、神殿のある丘までの道のりを希美子は黙って黙々と歩く。
――しかし
「……ちっ!また血の匂いだ。希美子、傷になる前に言えと何度言ったらわかる?」
「え、あ、いや……大した事な……」
「しかも、七回目ともなると随分と隠して歩くのも上手くなってるじゃねぇか」
実はこの街に来る道すがら、希美子は靴擦れを何度もジークヴァルトの治癒魔法で治して貰っている。
その度に魔法を使う程じゃないと断るのだが、ジークヴァルトはさっぱり取り合わなかった。
彼は一流冒険者だけあって、移動手段もいくつかあるのだが、家から最寄りの街に来るのにドラゴンやワイバーンを使えば街の中が大騒ぎになるし、許可無く領内で移動魔法を使うのも後々面倒な事になるのだ。
そんな理由もあり、近場だからと歩いて来たのだが――直ぐに後悔していた。
『落ち人』が、貴族レベルで身体が貧弱だと知っていた筈なのにすっかり忘れていたジークヴァルトは自分に腹を立てていた。
その上、希美子が血を流すのは胃の腑が掻き毟られるような不快さがある。
結果、道中眉間の谷の深さが三割増しとなり、それに気付いたらしい希美子がギリギリまで――と言うか一切、自己申告をしなくなると言う悪循環が生まれている。
ジークヴァルトは自分の口の悪さがこの事態を招いていると思っていたので口数も減っていた。
(――くそ!)
「え?!あ、おお?!じじじじジークさん?!このタイミングでお姫様抱っこ?!」
「治療しようにも街中で足晒せねぇだろうが、黙ってろ」
「うぅ……」
またやった、また一言多い。
別にうるさく騒ぐのでなければ希美子がはしゃいでようがお喋りしてようが構わないのに、ジークは己の口の悪さをまた呪った。
丘を登り、立派な白亜の神殿が見える前から、ジークヴァルトは荘厳な扉の前に居る神官達の集団に気付いた。
そして、その中心に居る人物に覚えがあった。
光を受け、七色にも輝く銀色の長い髪は遠目でもよく目立つ。
イスターレ王国随一の美貌の麗人は、ジークヴァルトの知人であった。
「……ユリウス、お前何してやがる」
ジークヴァルトが声を掛けるまで、わざとらしく他の神官と、談笑していたユリウスは、さも今気付いたとばかりに彼に向き直る。
――遅れてハラリと肩から溢れた髪は、まるで光の粒を零すように輝いた。
「憲兵の方から先触れがありましてね、Aランク冒険者の『ジーク』が神殿へ向かっていると。貴方は自分の事をもう少し自覚した方がいいですよ?神殿嫌いの貴方が門からまっすぐ神殿へ向かっていれば、何事かと兵達が騒ついてしまうのも無理はありませんから」
「かと言って出迎えるような真似をすれば、お貴族神官の沽券に関わると。ご苦労な事だ」
凛と澄んだ品のある声で嫌味を言う美貌の麗人へ素で嫌味を返すジークヴァルトに、神官達の敵意の視線が一斉に向けられた。
が、ユリウスと呼ばれた神官がそれを手で制する。
「貴方が、依頼でもないのに神殿に来るなんてよっぽどのことでしょう。まさか――その腕に抱いている方は……『落ち人』様ですか?」
涼しげな美しい表情で、淡々と確信を突く。
油断ならないこの美貌の麗人の事を、ジークは嫌いでは無かったが、今は何か鼻持ちならない気持ちにさせられるのは何故だろうか。
しかし、話が早いのが有難いのも事実だった。
「……希美子、手を見せてやれ。肌の色がわかればいい」
「えっ……え?!手だけ?!」
何か貴族とか言う不穏な言葉を耳にした気がしていた希美子は、それはさすがに無礼討ちされないかと心配になったが、先程から顔は見えず声だけ聞いていた美声の主が何も言わない事に気付き、恐る恐るローブから手を差し出した。
「お、落ち人様だ……!」
「本当に?!」
「何故あんな男の元へ?!」
次々と発せられる言葉に、ジークヴァルトに対する悪意も感じられて少し怖くなったが、ジークが安心させるように彼女を抱く腕にゆっくりと力を込めたので、何とか動揺を現さずに済んだ。
「……その象牙色の肌、確かに『落ち人』様ですね」
そして、凛と透き通るような声が何かの調べを紡ぐように響き渡る。
「アントワールはイスターレ王国の我が神殿へようこそお越し下さいました『落ち人』様、そのツガイ――ジーク。我々神殿の人間は貴方がたを歓迎いたします」