41.白狼と猫の目は誤魔化せない

「……ん、もう大丈夫 」

 クリストハルトの胸に乗っていた黒猫がぴょんっと飛躍して地に降りてそう言った。

 魔王がレイアに到着して直ぐに彼らはジークヴァルトの魔力に視線を移し、クリストハルトが倒れているのを見ると直ぐに来て黒猫の番が蘇生で回復し切れなかった患部を再生魔法で治していった。

 蘇生は既に完了しており、肉体の修復も終わった事で今度は妙子がポーションを一瓶煽ると体力諸々の回復に移った。

 魔王エルサリオンは獣化したジークヴァルトを正確に彼であると把握しながら一言話しかける。

「……彼は?」

『……この街の領主の三男だ、アンタは運が良い』

「………………」

 部下の暴走で起こったスタンピードで死にかけた領主の息子を治したからと言って印象が上がるとも思えないが、手遅れになる前に来られて確かに良かったのだろうとエルサリオンはジークヴァルトの言葉に黙り込んだ。

『……嫌味のつもりは無い、さっきも助かった』

「…………」

 ジークヴァルトの言葉にゆっくりと首を振って黙り込む魔王エルサリオンに、ジークヴァルトは魔王とは案外繊細な心の持ち主らしいと言う印象を抱いた。

 演技という事も考えられるが、彼からは嫌な匂いが一切しないのだ。魔人領歴代随一の賢王と人族の国々から言われるだけの事はある、そういう事なのだろう。

「う……」

「クリストハルト様?! 」

 妙子の回復魔法が済んだのか、クリストハルトのうめき声が聞こえて紗枝は彼の顔を覗き込み必死に声をかけた。

 普段指先の動き一つ取っても気品に溢れている彼女とは思えないほど、なりふり構わずといった様子が痛々しい。

「クリストハルト様、クリストハルト様! 」

「ん……アリス……か? 」

 地に横になったまま、未だ身体に力が入らないのか視線だけで紗枝を見たクリストハルトは直ぐに逸らして呟く。

「……何故、私は生きている……? 」

 クリストハルトがそう言うと、白狼ジークヴァルトが前脚で彼を踏み付けその顔を覗き見た。

「おっさん、命をチップにするのが早過ぎだ。もう少し待てねぇのかこの早漏が 」

「……その声……? ジークか……? 何故……いや、やはり夢か。あの状況で生きている筈が無い……大丈夫だ、私が居なくなった所で騎士団も王国も大して影響は無い……そういう風に、生きて来たつもり……だ――」

 ――パァンッ、と、乾いた音が響き渡った。

「……失礼しました、まだ寝ぼけておいでだったようなので 」

「……アリス? 」

 紗枝がクリストハルトの頰を張った音だ。

 彼女は振り抜いた手をそのままに底冷えのするような冷たい瞳でクリストハルトを見下ろした。

「あなたが死ぬ事で、あなたが気にするのは騎士団と王国ですか。随分とお仕事熱心だ事、感心してしまいますわ 」

「アリ――」

 ――パァンッ

「紗枝です、何度も申しましたでしょう? その足りない脳に刷り込むのには少々足りなかったようですが」

(え……? ちょ……、え? )

 常に無いふたりの雰囲気に希美子をはじめ、妙子やユリウスも若干引き気味である。

「貴方は私に『作戦があるから兄上達を呼んで来てくれ』と申しました、作戦とは――指揮官が囮になる愚策の事だと、そう知っていれば私はこの場を離れなかったでしょう。それを知っていて何も言わず、愚かにも貴方を信用する私を利用しましたね? 」

 彼女に叩かれ、一瞬目を丸くしていたクリストハルトだったが紗枝の言葉を聞くうちにいつもの涼しい顔に戻ると即答――

「ああ、その通り――」

 ――パァンッ

 し終える前に再び鳴り響く彼の頰を張る音、それは回数を重ねるごとに大きくなってきた。

「どうせ私の事など『魔力定着も済んでいるし、自分が居なくても逞しく生きていくだろう』程度の認識だったのでしょう? 」

「あ――」

 ――パァンッ

 今度は言いかける間も無く張り手されている。

 呆気に取られて二人を見ていた希美子に、ジークヴァルトは鼻先を押し付けるとこの場から離れるように促した。

「魔王、領主に会いたいんだろうが。アイツらに案内させようと思ったが予定変更だ、いくぞ」

「……ああ」

 お前らも行くぞ、とジークヴァルトにしては親切にクリストハルトカップル以外の人間を促すとスタスタと円形結界から出て行った。

 希美子も妙子も……ユリウスとジベットも頭にクエスチョンマークを浮かべて付いて来たが、魔王の肩に乗っていた黒猫が思いもよらない爆弾を投下した。

「ねえ、エルサリオン。あの騎士の人、ドMなのかな? 頬っぺた叩かれる度にち◯こ立ち上がって――ぷきゅっ」

 言い終わる前に猫を懐に仕舞ったエルサリオンは何事も無かったようにジークヴァルトの後へ着いて行ったが、バッチリ聞こえてしまった希美子は顔を真っ赤に染めた。

 振り返ろうとする妙子の頭をホールドするユリウスは形状記憶されたような笑顔を貼り付けてスタスタとジークヴァルトに続いた。

 ジベットは……ただ疲れた顔をしていた。

 何にせよ『レイアスタンピード攻防戦』は幕を閉じたのである。