40.騎士団長さんと落ち人さん

「紗枝さん! 紗枝さん待って! 」

 北の戦場に希美子達が到着した時、信じられない光景が広がっていた。

「なに……これ、何?!」

『チッ……』

 聳え立つ円形の結界の中、魔物達がすし詰めにされ、唯一の出入り口と思われる場所へ紗枝が身の丈以上もあるハルバードを一心不乱に振るっていた。

 ドレスは既に所々破れ、血が滲み、真っ青なその顔には彼女には似合わない程の汗が流れていた。

 目立った傷が無いのは妙子が直ぐに回復をしているからだろうか、溢れ出て来た魔物が紗枝に攻撃の態勢を取った先からユリウスがレイピアで仕留めているが、彼の顔色も悪かった。

「妙子ちゃん! これは?!」

「希美子ちゃ――うあ?!白っでかっ怖?!!」

 鬼気迫る紗枝とユリウスの顔色を見て只事では無いと察した希美子とジークが駆け寄ると、妙子は一瞬縋るような視線で振り向いたがジークの姿を見て狼狽えた。

『説明は後だ、何があった? 』

 大きな白狼のジークが声を発したと同時に妙子がビクリと飛び上がって物凄く色々な感情を瞬時に抑えつけるような表情になった。

「クリストハルトさんがこの中に居るらしいの!」

 その言葉を理解したと同時、ジークヴァルトは希美子を乗せたまま駆け出した。

「っな?! 紗枝さん!」

 レイピアを振るっていたユリウスが背後から猛然と突っ込んでくる狼に気付いて紗枝の首根っこを引っ掴むと脇へ転がるように回避する。

「――ッ」

 脇へ倒れ込んだ紗枝は無言のままにユリウスを払いのけ、険しい表情で再びハルバードを引っつかんだ頃には白狼が円形の結界の中へ激しい咆哮と共に飛び込んでいた。

 その行動の早さに度肝を抜かれたのは妙子だ。

「希美子ちゃん?!! 」

 彼女のその言葉に反応したユリウスは驚愕を浮かべ――紗枝は状況を理解したのか理解する必要すら無用なのか。

 すぐさま白狼の後を追うように走り出す。

 普段の彼女の品などカケラもそこには無かった。

 空気がブレるような咆哮と共に発せられた範囲攻撃魔法に魔物は次々と首や胴を離して血飛沫を上げていく。

 其処此処で爆発音が鳴り響き、円形結界の中が土埃で視界が悪くなれば一瞬の風魔法でそれを払う、その繰り返し――

 ――やがて中央に見えてきた『ソレ』

 木の幹に護られるようにして、しかし大量の血を流して膝を付いているクリストハルトの姿がそこにあった。

「クリストハルト様――!! 」

 紗枝が発した久しぶりのその声は、まるで悲鳴のようで――

 紗枝が駆け寄りクリストハルトを守っていた幹に触れるとゆるりと解け、中に居たクリストハルトが幹の外へ倒れ込んだ。

「ッ――……ッ!――ッ」

 声にならない声を上げポロポロと涙を零しながら紗枝がクリストハルトのその身に触れていく。

 いつも腹が立つほどに美しく後ろへ流した髪は乱れ、騎士服は土に汚れ破け、血が滲み……所々火傷の跡と思われるものまであった。

「ッ――」

 紗枝は細い指を彼の首に触れさせたまま固まった。

 ――脈が触れない

 パリンッ――瓶の割れる音と共に、妙子がクリストハルトの直ぐ傍に、祈るような姿で跪くと、口の中で何がしかを唱え出す。

 青白い光がクリストハルトを覆い尽くした――蘇生魔法だ。

「――コレも使え」

 きゅぽんっと音を立て水薬の蓋を開けると中身をおもむろにクリストハルトへ降りかけたのはジベットだ。

 すぐ後ろにはグリフォンがその羽根を休めていた。

「ジベット……壁へ行ったのでは……」

「中にどんな状態のモンがあるのかわかっておるのに魔物が居なくなってまで安全圏で震えとる理由は無いだろうが、もう一本いくぞ」

 声をかけたユリウスに不機嫌そうにそう言ったマフィア顔の爺はチラリと白狼の腕に巻かれた布を見ながら言った。

 その時――一羽の紙鳥が猛スピードで円形結界の中へ飛び込んで叫ぶようなイストールの声が響き渡る。

『ジーク!! 東の空に亀裂が多数!! 繰り返します!東の空に亀裂が多数!! 』

 バッと治療に当たる妙子以外の人間が一斉に空を見上げた。

「――クソったれ! 」

 ジベットが悪態を付く。

 空に無数の亀裂があった、ただソレは――ヒビが入るようにスーッと伸び続けている。

 先ほど、死竜が飛び出して来た亀裂を思い起こさせた。

 希美子を乗せた白狼はソレらを目を細めて見つめ聖印を――――

 ――キュイイィィン……

「――何?! 」

 展開させる前に全ての亀裂が黒い光の糸に絡め取られ――爆散した。

「なっ……なん……?」

 声を上げたジベットが信じられないモノを見たという目でレイアの東の空を見上げ――その圧倒的なプレッシャーに膝を付いた。

『此度は迷惑をかけた――人族の民よ』

 夜空に在って尚暗く、星々の光をも闇に溶かす存在が其処にあった。

「あれは――」

 希美子には覚えがある。

 先ほど会ったばかりの、憂いを帯びたその瞳は忘れ難いものだったから。

「我が名は魔王エルサリオン――レイアの領主と話がしたい」