37.狼獣人さんと落ち人さんと木苺

結界のすぐ先に巨大な『水柱』が出現した――

 水柱なんて生温い、コレはもう壁だ。

 東壁に沿うようにして、その倍はある高さにソレは伸び上がり一瞬の後――大波のように魔物達を飲み込んだ。

「なっ……な、な……?!」

 腰を抜かして目の前の惨状に混乱しているのは術を展開した張本人であるギルド長。

 彼はクリストハルトに請われるままに広範囲攻撃魔法を使っただけだ。

 その先の結果も、どうせいつもの様な――死屍累々すらも存在しない更地が出来上がるだけだと思っていたのに。

 バッハシュタインの壁、その結界魔法に余剰エネルギーを操作された結果は彼の予想を遥かに超える光景を生み出していた。

 このままではレイアの城壁に沿って、湖が出来てしまう。

 この東門は他国へ向かう者、他国からこの国へ訪れた者達の為の重要な拠点に……その門前に……こんなもの責任取れない、どうしようとギルド長は顔を青ざめさせていた。

「……そう慌てるでないギルド長、全てクリストハルトの計画通りじゃ」

「は……?な、け……計画?!」

 バッハシュタイン卿の言葉にギルド長は縋るような目を向けて、ギルド長と同じく目を丸くして下の惨状を見ていた妙子も気になって視線を向けだが、ユリウスはため息をつきつつ額に手を添えていた。皆のそんな反応を満足そうに見てクリストハルトが言う。

「以前から水堀が欲しかったのだよ、大きな水脈がある事は随分前からわかってはいたのだがな、深過ぎて手を出せずにいた」

「は……?水堀?」

 クリストハルトの言葉に、それでもよく意味が分からないと言った風にますます困惑するギルド長。

 その言葉を受けて素朴な疑問を……目の前の惨状に指差して口にせずにはいられない妙子。

「え、いや……水堀って言うか……これさ、地竜が掘ってきた穴にドバーッと水が行ってるよね……?一生懸命走ってきた魔物みんな押し流されてるよね?」

「……いいえ、妙子。この水には聖付与されておりますから、アンデッドは砂へ還り……今頃噴水広場にいる神官たちが魔力と言う魔力を搾り取られてミイラ化していると思われます……水そのものでは無く、水脈に聖付与させたのはコレが理由ですかクリストハルト」

 ユリウスの言葉を受けて、甘いマスクでニッコリ微笑む壮年の騎士団長クリストハルト。

「今の爆発で神官たちが聖付与した水路と巨大な地下水路が繋がってしまったみたいですな?しかしその危険も考慮して魔石は十分量渡しております。まあ、彼奴等が聞いておったかは知りませんがね」

「ふふふ、巨大な地下水路の完成ですねクリストハルト様」

 ……紗枝、お前もか。

 ユリウスは深い溜息を吐いた。

 どうやらクリストハルトも事ある毎、前線に出たがらず足を引っ張るだけのこの国の神官達に思う所があったようだ……思う所がある程度でミイラにされては堪ったものではないが。

「え、て言うかコレ、アンデッドほぼ全滅なんじゃ無いの?完勝?」

 眼下に広がる水堀をしゃがんで覗き込む妙子がそう言うが、しかしユリウスはチラリとクリストハルトを見遣る。

「ここに居る者達はそうでしょうな」

「……ここに居る者達?」

「まだ何かあると……?その根拠は……?」

 涼しげな表情をして言ったクリストハルトに妙子はきょとんと、ユリウスは怪しんだように、紗枝は微笑みを称えたままに彼の言葉を待つ。

「此度のスタンピード は人為的に操作されたもの、そして首謀者は――」

 首謀者までこの男は既に割り出して居るのか?と、皆がクリストハルトの言葉に注目した。

「――性格が悪い」

「……………………」

 …………しばらくの間、未だ湧き出す水の音だけが響き続けていた。

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「ふわぁ〜死屍累々とはこの事っすねぇ……」

 ある人物の依頼でレイアの噴水広場に訪れた、錬金術師の孫でありお針子のリリーは額に手をかざして目の前の惨状を見渡した。

 そのすぐ側には布屋のレメルと靴屋の少年が籠いっぱいに水薬を持って控えている。

「う……うぅ……」

「一体……なに、が……」

「………………」

 其処此処で百人近くの神官達が呻き声を上げながら地べたに這いつくばっていたり、転がっていたり。

 そして彼らの脇には一様に艶を無くしてただの石ころと化した魔石が大量に転がっていた。

「はーい、皆さん注目っすー!」

 少女の高い声が頭に響くのもしんどいとばかりに呻き声を上げていた神官達は少女達を睨みつけた。

「今から魔力回復用のポーションを販売するっすー御用の方はお声がけして欲しいっすよー」

「…………………………は?」

 リリーの言葉に目を丸くして固まる神官達を尻目に「じゃあ二人はアッチとコッチから回って下さいっす、アタシは真ん中行くっすー」なんて言いながら移動販売をはじめようとする彼女に一人の神官が声を荒げた。

「貴様!我々はこのレイアの為に水脈へ聖付与をしていたんだぞ!平民ならポーションくらい無償で提供しないか!!」

「はい!ありがとうございましたっす!皆さんかっこよかったっすよ!それでですね、下級ポーションは大特価サービス価格銅貨十枚になるっすよー!」

「貴様ッ――――ぎゃあああっ?!」

 神官の台詞を適当に返して売り子を始めるリリーの脚に掴みかかった別の神官が電撃でも食らったかのように身体を震わせ泡を吹いて気を失った。

「はい、アタシに悪意を持って触るとこうなるっす、気を付けて欲しいっすーあ、コレも爺ちゃんのポーションなんで欲しい人いたら言ってくださいっす!」

 リリーはそう言うと泡を吹いて倒れた神官を足で退けて歩き売りを再開した。

「はいじゃあ――中級が銀貨二枚、上級が金貨一枚っス!ちなみに前線では此方バッハシュタイン家持ちで無償で提供されているっすよー」

「は……?」

「おススメは下級ポーション飲んで動ける程度になったら前線に行って上級ポーション貰うのが一番っすね!クリストハルト様もそう言ってたっす!」

「は…………?」

その言葉の意味を理解した神官達は一瞬時が止まったかのように固まった。これは――保身の為にしか動かないなら回復薬をくれてやるつもりは無い、クリストハルトのわかりやすいメッセージだ。

 戦士として扱われたいのなら、前線へ出て来いと。

 今の貴様ら等、使い捨てる程度の価値しか無いのだと。

 保身は大事と思いつつも、聡い者はこのメッセージを正確に読み取り顔色を悪くする。

「あー……リリーちゃん?下級ポーション頼むわ」

 足元から声が聞こえてリリーは振り向いた。

 そこには――ブラウン系のブロンドヘア、襟足は短いけれど目に少し掛かった前髪が何とも軟派っぽい神官様が転がっている。

 リリーは差し出された金を受け取ると下級ポーションを手渡した。

「はい、銅貨十枚確かに……あの、なんで名前……?」

「俺はこの街の女の子の名前はみんな覚えてるからね」

「………………」

 リリーは首を傾け「もっと他の事に頭を使った方が良いのでは?」と思いながら爺特製の……味に全く気を使っていない安ポーションを顔色一つ変えずに飲み干す神官を眺めていた。

 どうやら神官を遊ばせて置く程、事態は気楽なものでは無いらしい。

 自分達の扱いに、イスターレ王国騎士団長クリストハルト・バッハシュタインの本気が見て取れる。

「ご馳走さま、次はもう少し高くてもいいから味をどうにかしといてくれってお爺さんに言っといてね」

 パッと見はバタ臭い王子様といった風貌の神官は空のポーション瓶をリリーへ返すと東門へ向かって歩いて行った。

 東門が俄かに騒がしくなったのはリリーが彼を見送って直ぐの事だった。

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 ジークヴァルトに肩を引き寄せられ抱かれるような形になった希美子が、身体全てを引っ張られるような感覚を覚えた次の瞬間――ブワリと高所から落ちるような、ジェットコースターに乗った時の嫌な浮遊感を感じた時、景色が一変していた。

「きゃっ?!……あ……ありがとうジークヴァルト」

「…………いや」

 グラリと体勢を崩した希美子を支えてくれたジークヴァルトに礼を言うと、歯切れの悪い声を不思議に思って彼を見上げ――その視線の先を追った。

 辺り一面、木苺の木があった。甘い香りが漂うその空間に希美子は思わず感嘆のため息をつく。何故なら、夜の空間にあってその苺はほんのりと光を纏っていたからだ。

「……精霊が世話をしているんだろう、この木はゴットハルト・バッハシュタインが植えたものだからな」

「ゴットハルト……?」

「…………この街の、領主だ」

 そう言うとジークヴァルトは木苺を二、三取って希美子の口に押し付けた。

「自己回復の加護がある、念のためだ」

「…………」

 領主様の木苺を勝手に食べても良いのかとても気になったが、取ってしまって既に口の中にあるものを吐き出す気にもならないのでそのまま美味しくいただく事にする。

 その間にジークヴァルトは亜空間から何やら赤い布を取り出し希美子に渡すと、突然光に包まれた。

 希美子はこの現象を知っている。

 彼が獣化する時の予備動作だ、しかし、次に目の前に現れたジークヴァルトはいつもと違う姿をしていた。

「え……お、狼さん……?」

「……何を今更な事を言ってやがる」

 希美子の目の前に現れたのは、いつもの人型二足歩行の狼さんでは無く――四足歩行の神々しいまでの白を持った大きな狼だった。

(お、お、お、お、狼さん!!ガチの!!狼獣人さん最大のステータス!!ガチ狼さん?!!か、カッコいい!!綺麗!神!!うわわわわわっ)

 希美子は顔を真っ赤にしながら大興奮中であるが、それに気付いているのかいないのか。

 ジークヴァルトは総スルーで端的に指示を出した。

「……街まで少し距離がある、乗れ」

「え?!の、乗る?!!乗るの?!」

 大きいとは言え有名アニメ映画に出てくる姫のように希美子が乗りこなせるとは到底思えなかった。

 憧れと現実の違いくらい希美子もわかっている。

 いや、他にも希美子的には不都合が色々あるというのもあるのだが……今は言ってはいけない気がするので言うまい。

 一方ジークヴァルトは「ユリウスの落ち人が掛けた加護があるから」と希美子に説明する。しがみつく握力が足りずに振り落とされる事も無いだろうと。

 ジークヴァルトは妙子の事を、意外といい仕事をしたと評価を上方修正していた。

『身体強化の加護』が無ければ、希美子の胸に空いた風穴はあんな物では無かったろう、そう思っている。ユリウスの加護に勝るとも劣らない、落ち人の魔力は話に聞く通りツガイの能力の合わせ鏡なのだと実感させられた。

「俺がお前を振り落とすような事をすると思うのか?俺はもうお前を他に任せるような事は無い、これからお前が乗るのは俺だけになる。お前が慣れろ」

「えっえっえっえっ?!?!」

「お前を抱き上げて戦うよりも背負って戦う方が簡単だからな」

 ジークヴァルトはそう言って、大きな身体を希美子の前で伏せの姿勢にした。

「……シロには乗れた癖に俺には乗らないとか抜かすつもりか?早くしろ」

(え、えええええっ――?!!も、もふもふが……もふもふの据え膳が伏せてジークヴァルトが狼さんのくぁwせdrftgyふじこlp)

 いつに無く押しの強いジークヴァルトに、希美子は折れるしか無いのだった。