冒険者ギルドの地下室に青白い魔法陣が浮かびあがって、警備していたギルド職員の一人が事務作業の手を止めて直ぐ傍に控えた。
「おかえりなさい、イストール副ギルド長」
「はい、ただ今戻りました。進捗はいががでしょう?」
魔法陣に姿を現したのはこのレイアの副ギルド長イストール。
涼しげな瞳は直ぐに出口へと向けられ、その歩みは速かった。
彼の直ぐ後を付いて行くギルド職員が小走りになるくらいには。
「バッハシュタイン卿は大量のアンデッドが地下に穴を掘り進めて向かっているという私兵の報告を受けた後、街の空を覆い尽くす予定だった結界を中断――地下の根結界に聖属性を付与する為に地下水脈への聖属性付与を神殿に依頼したそうです。依頼の際にクリストハルト様より大量の魔石を渡されておりました。前線嫌いの神殿は此れを快諾、神殿長以下ユリウス様以外の神官達は中央の噴水広場へ集まり何やら儀式をしております」
「神殿は通常通りとしても……穴を掘り進めてそのまま街の中で地上に出られては防壁も結界も意味がありませんからね、ともあれ既に動いているなんてバッハシュタイン卿――判断と行動の早さはさすがと言ったところでしょうか。何処かのギルド長と交換していただきたいですね」
一領の領主様を一ギルド長と……?一瞬ギルド職員が「それは無理だと思います」とマジレスを返そうとして思い止まる。
これはイストール副ギルド長のちょっとしたジョークだ。真顔なので判り辛いしツッコミ辛い。要は面倒くさい。
「……そのギルド長はクリストハルト様から要請を受けて広範囲魔法の準備をしています」
「……詳しく聞かせてください」
バッハシュタイン家の索敵により、穴を掘り進めているその先頭の魔物が地龍のアンデッドである可能性が浮上してきたらしい、それも五匹である。
いくら地龍が飛ぶことが出来ず、防壁に加え結界を重ね掛けしているとは言え、ドラゴン五匹が街の外にいたのではレイアは籠城を余儀なくされる。
何よりイスターレの壁が本当に壁だけ築いて地龍が他領へ移動なんてした日にはお笑い種だ。
しかし討伐するにも、地龍の討伐はB級を含むC級パーティ以上の依頼となる。
何度も言っているがこのレイアにC級以上の冒険者はこの国唯一のA級冒険者ジークしか居ない。
「調査によれば、アンデッド達が掘り進めている穴の位置はかなり深く、地上からの聖印による討伐は不可能だったようで……」
「調査を行ったのはユリウス様ですか……そうなると、なるほど魔物の集団の目的がこのレイアと思われる以上街中まで穴を掘り進めて出てくる予定だと考えられますね」
イストールは王族の系譜であり神官であるユリウスの仕事を高く評価していたが、彼の境遇を考えた時「行動力ありすぎだろう」と思うのを止められない。
彼も本当だったらギルドに欲しいくらいなのだ。
まったく、この街の貴族は働き者過ぎて頭が下がる。
まあ、だから上級冒険者が寄り付かないのだが……。
「バッハシュタイン卿は根結界の形や深さを変化させる事で、魔物が東門の壁周辺に這い上がってくるよう誘導すると仰っているそうです」
イストールはその言葉を聞いて感心するとともに頭痛がした気がしてこめかみを揉んだ。
「ますますウチのと交換していただきたいです。バッハシュタイン家はもうそろそろゴットハルト様を隠居させてあげてはいかがですかね?」
「イストール副ギルド長。隠居先が冒険者ギルドとか、さすがに隠居の意味が仕事していません」
「カリーナさんは真面目ですね」
今度はカリーナがこめかみを揉みたくなったが話を進めることにする。
「話を戻します。東側に誘導されたアンデッドが地上に這い上がって来た所を聖印の発動条件位置に着けたら、ユリウス様に最初の攻撃をしていただき地龍へダメージを通した後――魔物をギリギリまで壁に引きつけた所でギルド長の広範囲魔法を発動、その後撃ち漏らしをバッハシュタインの私兵と冒険者が片付ける事になりました」
「……東壁の結界の強化を?」
あのバカの馬鹿みたいな威力の広範囲魔法を壁際で使わせるなんて狂気の沙汰としか言いようが無い。しかし騎士団長クリストハルトの要請ならばそれも頷けてしまう。鬼才と狂人は紙一重だなとイストールは思った。
「もちろん、バッハシュタイン家長男リードハルト様が。森側には次男のエックハルト様が既に結界を張ってます」
余剰エネルギーが上と下に向かう訳か、凄いことになりそうだなとイストールは想像した絵面を放棄したくなった。
「色々と心配になる事はありますが、仕方ありませんね。ところで、バッハシュタイン卿含めお三方は忙しそうですがクリストハルト様は要請だけして今何を?」
カリーナはイストールの言葉に苦虫を噛み潰したような表情になる。彼女の表情がここまで動くのは珍しい事だった。
「……貴族街の者たちが転移魔法陣に群がっている為、その対応に」
「魔石さえ必要量あるなら逃げられるでしょうが……まさかこの緊急時にバッハシュタイン家の魔石を根こそぎ使わせている訳ではありませんよね?」
「だからこそのクリストハルト様ですよ、彼の方なら愚か者の相手はお手の物でしょう」
「ふむ……」
転移陣を一度使う毎に大量の魔力が必要となる為、ギルドは緊急時に備えて日々魔力タンクに魔力を溜めているが、貴族街の転移陣には誰が魔力を溜めているのだろうか。
大方必要な時は金にモノを言わせて魔石で発動させれば良いと貴族達は思ってたのだろうなとイストールは考えていた。
そしてそんな事に頭を巡らす余裕がある現状に感嘆の息が漏れる。
自分が戻る前に殆ど事前の仕事が済んでいる。
スタンピードによる防衛戦の場合、領主が使えず防衛を冒険者ギルドに丸投げするのが殆どの領地のパターンなのだが、こんな事はギルド職員になってこのレイアに着任してからは毎度の事だった。
とは言え、やる事がない訳では無い。
「カリーナさん、例の方々への要請は済んでますか?」
「あの方々なら副ギルド長から紙鳥が届く前にギルドへいらしてました。防衛戦に参加して下さるそうです」
カリーナの言葉を聞いたイストールが、帰ってきて初めて口の端をあげた。
「ではまずそちらへご挨拶に伺いましょう」
――――――
――――
――
イスターレ王国辺境、レイア。
イスターレの宝石と名高いこの美しい街が、今宵ばかりはその輝きを潜め、無骨な要塞と化していた。
街を取り囲む壁には遠目には蔦が巻き付いているように見えるが、実際その壁を這うようにしてへばり付いているのは太い木の幹。
生い茂る葉は夜風に煽られ不気味な音を立てていた。
住人達は領主の指示に従い、避難場所や家の地下でひっそりと息を潜めてこれから起こるであろう事に震えながらも領主一族を信じて肩を寄せ合っていた。
D級以下の冒険者達はギルドの一階へ集められ、己の出番が無いことをただ祈るばかり。中には命知らずの若者が「これで俺もA級冒険者ジークのように功績を立てられる」と息巻いていたが、内心皆失笑するだけだ。
戦争に例えれば新兵と農民兵がいるだけでロクな指揮官も居ないというこの状況。
ギルド職員で戦える者も出るだろうが、どうせこのレイアの膝掛け職員だろうと冒険者達は悲観している。
そんな時、けたたましい音を立てて扉が開いた。
「おいおい坊主供!んなシケたツラァしてたらゴブリンにも殺られちまうぞ!?」
「全く、ウチに食べに来てる時の威勢はどうしたんだい?それとも酒が無いと虚勢もはれないのかい、情け無いね!」
現れたのは噴水広場の脇道にある小さな食堂の親父とおばちゃんだった。
美味い安い量が多いで有名なその食堂は駆け出しの冒険者には少し値がはるものの、依頼達成の暁には自分達への褒美とばかりにギルドから一目散に向かう位にはコスパが良い。
つまり、有名な店なのだが。
「おいババア?!なんだその格好は?!無茶すんな!」
初級冒険者達は突然現れた親父とババアの姿ではなくその格好に唖然としていた。
「なんだいマルク、薬草集めが趣味のお前さんには言われたく無いね!だいたいお前さんこそその格好はなんだい?今日狩るのは薬草じゃなくて魔物だよ!?」
「いやいや?!親父さんはともかくビキニアーマーのババアに格好とやかく言われたくないよ?!」
皆一様にマルクと呼ばれた少年冒険者に頷いた。食堂のババアが突然ビキニアーマーで現れたら誰だって「無茶すんな」と思うだろう。
しかしコレに答えたのは二人の後に入ってきた副ギルド長イストールだった。
「お二人は十数年前までC級冒険者パーティでしたから、今回貴方達の指揮をお願い致しました。本来引退された冒険者の方にこう言った依頼は不躾なんですけどね」
「はあ?!」
C級パーティという事は、このババアと親父のどちらかがB級という事になる。
冒険者達は口をパクパクとさせながら二人に視線を向けた。
イストールの言葉を受けて冒険者達から注目の視線を一身に浴びたババアは嬉しそうに胸を張る。
「って訳だよ、アンタ達!ドラゴンに撃ち漏らしがあったら叩きに行くからついといで!」
「えええええっ?!――ッうお?!」
ババアがババアらしい無茶を言い放ったその時――ドドドドド――と、地鳴りのような音がレイア全体を襲った。建物が小刻みに揺れ動き、地震など縁の無い者たちは悲鳴を上げ、忙しなく辺りをキョロキョロと見渡した。
ババアが親父に視線をやると親父は一つ頷く。
「……どうやら始まったみたいだな――スタンピードだ」
――――――
――――
「……来たね?」
「はい、索敵にかかりましたね……どうやら街の下に回り込めずにいるようですが……さっさと諦めて出てくるか、それとも――」
レイアの東門の壁の上、第一次防衛作戦に参加するユリウスと妙子はその場所に居た。
「いえ、杞憂ですね……」
チラリとユリウスが視線を送ったその先には、この街の領主――ゴットハルト・バッハシュタインと騎士団長クリストハルト……その隣には紗枝が居た。
そして三人の背後にレイアのギルド長が緊張した面持ちで控えている。
ゴットハルトは大きな杖を掲げ、口の中で何かを呟きながら目を閉じている。
彼は今、地下にいるアンデッドの大群を誘導する為に街を守る為、地下へ張り巡らせた根結界を操作しているのだ。
詳細を言えば、根結界が纏っている魔力の操作――今、根結界はレイアの神官達が聖付与した噴水の水の影響で聖魔力を纏っている。
アンデッドが嫌う魔力を利用する事で東門の前へ地龍達が掘り進めた穴の出口を集中させるのが彼の役目だ。
地鳴りは連続して鳴り響いたかと思うと度々途切れ、また再開され、また途切れ、その繰り返し。
凄い集中力だとユリウスは敬服した面持ちでゴットハルトを見詰めていた。
杖を掲げた姿勢のまま、随分と経っている。
彼の瞼の裏には地下に蠢く魔物達が見えているのだろう。玉のような汗をかき、瞳を固く閉ざして時折杖を小さく動かすその身にはまるで湯気のような赤くゆらめく彼の魔力が漂っていた。
そして、その瞼が開かれた。
「――来るぞ」
一際大きく地が揺れ始めたその時、ユリウスと妙子の索敵にも巨大な反応が五つ。
二人は瞬時に聖印を展開させた。
その場所は東門のすぐ側に四つ、少し離れた場所に一つだ。
地が割れ、その隙間からおびただしくも強い光の柱が伸び――一瞬遅れて悲鳴とも慟哭とも付かない聞き苦しい金切り声が響き渡った。
――ギャアアアァァァァァア
割れた地面が盛り上がり、巨体が姿を現わすもその巨体は自ら這い上がって来たのではなく後から続く大量の魔物によって押し上げられたようだった。
「……う、ぁ……」
それを見た妙子が思わず口を押さえて呻く。
眼下に広がるのは巨大な地龍の下から蠢くように這い出てくる大量の魔物達だ。
獲物に群がる蟻のようにも見える。
「ゴブリンとオークが中心ですが……」
チラホラと中級の魔物も見える、レイアの初級冒険者には少し骨が折れそうだなとその様子を二人は眺めていた。
ギルド長は眼下の様子を眺めながら広範囲魔法の準備を既に完了している。
「まだです、ギルド長」
「………………」
攻撃のタイミングを指示するのはクリストハルトだ。
彼は地下の魔物達を索敵しながら注意深く這い出る魔物達の様子を眺めていた。
魔物の一部が城壁を取り囲む木の幹に登ろうとしては聖付与されているその幹に焼かれ、焼かれた仲間の身体を登ってその先で焼かれ――それを繰り返しウソウゾと這い上がって来る。
妙子は気持ち悪くて見ていられなかった。
まだかまだかとクリストハルトの様子をチラチラと盗み見るも、紗枝と目があってニッコリと微笑まれてしまう。
城壁の三分の二以上を魔物が這い上がり、未だ穴の中からはウゾウゾと魔物が湧き出ている。
少し外れに居た地龍が態勢を整えて此方へ向かって来たその時だった。
「――今です」
「了解しました!みんな、衝撃に備えてね!」
――ユラリ、と。
突然辺りの空気が湿り気を帯びたと思うと、突風が吹き荒れてギルド長の頭上へ吸い込まれていく。
彼は何か呟いているようだったが、もちろん何を言っているかなんて聞こえはしない。
集約された空気の塊は次第にバチバチと静電気を帯びて膨張していき――ズンッと城壁に沿うようにして一瞬で縦に伸びて東壁全体に広がる。
この間、僅か数秒――
「――行きます!!」
――閃光――そして激震。
先ほどの魔物達による地鳴りなど可愛いものと思わせる揺れ。
妙子達は結界の中にいた為に突風に吹き飛ばされる事は無かったが目が潰れる程のその光に眩み、思わず膝を折る。
ピシリピシリと結界にひびの入る音に、ゴットハルト・バッハシュタインは光から目を庇いながらも強化術式を展開。
光は収束しつつあるのに、なかなか収まらない揺れ。
ユリウスが怪しむような表情になった時、クリストハルトの口角がゆっくりと上がった。
巨人でも走って来ているのかと言う、ドドドドドッと言う音の後。
結界のすぐ先に巨大な『水柱』が出現した――