希美子達はホワイトドラゴンのシロちゃんに乗って夕焼けの空を西へ進んでいた。
『確かに死竜の気配があるわ』
そう言って大空を凄まじい速さで飛んでいくドラゴン。
けれども希美子が頰に受ける風は自転車に乗っている時みたいな気持ちが良い程度のもので……どうやらシロちゃんが結界を張ってくれているらしいと、すぐ隣にいた妙子が希美子に教えてくれた。
『きみちゃんが持っているのゴハンでしょう?食べててね、仮眠もとっておいた方が良いんじゃないかしら?』
などと再び自分の高貴さ無視して無茶振るシロちゃんに(こ……溢したらどうしよう……)と、青褪めた希美子を見て、ジークヴァルトは昼に使った布とは別の布をシロの背中へ敷いて希美子を乗せた。
「……聖白竜の背中でピクニック……?」
などと妙子が半笑いで言っていたが、ユリウスが召還術式を展開しようとしたタイミングで「貴方達も乗りなさいな?急ぐのでしょう?」とシロちゃんに言われて固まった。
と言うのも、聖白竜は神殿の人間にとって信仰の対象でもあるからなのだ。
神殿でまことしやかに語られる創世の日の出来事は数々存在するが最後は決まって――女神セレスが聖白竜に乗って天上へと還って行った――と締め括られる。
妙子はアントワールに来てまだ二月ではあるものの、ユリウスが神官として仕事をこなす昼間の間は基本的に暇である。
ちょっとした趣味の時間もあるのだが、さすがの妙子も昼間中その趣味に没頭していたら夜が大変なので、ある程度趣味の時間を堪能した後、彼女はずっと神殿内の書庫に入り浸っていた。
と、言うのも妙子はユリウスの執務室へ定期的に応援へ――いや、結果邪魔しかしてないのだが――行っては、その書類の文字が読めるような気がしていたからだ。
(うん、やっぱり読める……)
女神補正なのか何なのかわからなかったが、結果として文字は読めたので、一般常識から宗教まで読めるかぎり読んだ。
しかし妙子は小説と言えばライトノベルな人間なので、いつのまにか寝ていることの方が多かったのだが。
そんな背景もあり、この世界に来たばかりの希美子よりは若干知識のある妙子。
話に聞く『聖白竜』が暴力的な気品をパッシブで放ちながら目の前にいるのだ。
しかもどうやら話の流れ的に、自分達も乗らなければいけないらしい。
(なんかアレだ、実際会っても遠くで見てキャーキャー言いたいなとか思ってたラノベキャラが突然目の前でフリーハグ始めたって感じの衝撃……)
――分かりづらい。
そんな妙子の気持ちなんてなんのその。
目の前に居るのは伝説の白竜と、自分のツガイ至上主義な不機嫌系イケメン……唯一の味方、美貌の麗人だけは妙子の気持ちをわかってくれたのかいないのか……ぽんっと妙子の肩に手を乗せて静かに首を横へ振っている。
妙子は、覚悟を決めるしかなかった……。
――――――
――――
シロちゃんが索敵して飛んでくれている為、自動運転状態なのだが、神殿組はまだ慣れないのか後ろで表情を硬くしていた。
前に座っている為、希美子はサッパリ気がつかなかった。
「ジーク、あれ……」
「バッハシュタインの私兵だな」
少し開けた平原に、鎧姿の私兵達が盾を構えてこちらを警戒するように立っていた。
「……ユリウス」
「わかりました」
美貌の神官はジークヴァルトの声に返事をすると「失礼します聖白竜様」と一言断ってから、背中に立つ。
(これは……客観的に見たらすごい図だな……)
気品ある美しい白竜の背に立つ美貌の神官は……目が潰れるかと思うほど輝いて見えた。
(夕焼けってのもまた……)
透き通るような肌に夕陽を受け、風にたなびく銀髪は紅の強い七色に輝いている。
長い睫毛を伏し目がちに濡れたような唇が何事か呟いて――パアッと打ち上げられた花火のような魔法は、光の粒である形をしていた。
「妙子ちゃんアレ何……え?!妙子ちゃん?!」
「だ、大丈夫……ハァ、ちょっと自分のツガイが尊過ぎただけだから……ハァ、ハァ……ひとしきり興奮しきったら元に戻るから……ちょっとまって……ハァ……」
サッパリ大丈夫そうではない。
胸に手を当て苦しげに前のめりになっている妙子は、それでもユリウスから目を離さなかった。少し眼球が血走っている、怖い。
そんなユリウスはバッハシュタインの私兵達に見える位置へ陣取り彼らが己を確認出来ているかを注意深く見下ろしていた。
「アレはレイア神殿の紋章だ」
なので、希美子の疑問に答えたのはジークヴァルトだ。
「え、神殿の紋章……?」
「そうだ、紋章の魔法は取得方法が特殊だからな、関係者にしか放てない……合法的にはな」
最後のジークヴァルトの言葉はよく聞き取れなかった希美子だったが、改めてユリウスの放った紋章の魔法を見た。
女神の象徴する太陽とバッハシュタインの緑の加護を象徴する月桂樹の葉――それが、イスターレの宝石の名に相応しい輝きを持って光の粒で描かれていた。
「……スタンピードも気にかかる。ユリウス、アイツらの警戒が解けたら一度降りるぞ」
「わかりました……バッハシュタインの紋章が上がりました、もう大丈夫ですよ」
ユリウスの言葉を受けて、ジークヴァルトが指示するよりも早くシロちゃんは着陸態勢に移行した。
「なるべく優しくするけどしっかり掴まっていて」
「あっはい!シロちゃん!」
希美子の元気な返事にシロちゃんは「うふふっ」と笑ってから、バッハシュタインの私兵から少し距離を置いた場所へゆっくりと着陸した。
「――ユリウス様!」
ジークヴァルト達が降りると、バッハシュタインの私兵達が「本当にユリウス様だ!」「アレはA級のジークか?」などと言いながら駆け寄って来た。
「皆さん、ご無事で何よりです。死竜が出没したと言う報告、皆さんの元には……?」
ジークヴァルトは後は任せたとばかりに、私兵を無視してシロちゃんを労うようにその首を撫でていたので口火を切ったのはユリウスだ。
すると、私兵の中から代表と名乗った中年のゴツイ男が前に進み出る。
「はい、 先ほど紙鳥にて……しかし、少し様子がおかしいのです」
代表の言葉にユリウスはスッと目を細めて続きを促した。
「先程まで何処から湧くのかと思うほど遭遇していた魔物達が……とんと姿を見せなくなったのです」
その言葉にユリウスが怪訝な表情をしてみせたその時――
「おい、少し静かにしろ」
ジークヴァルトが言った。
今とても大事な話をしていたんだが……と、バッハシュタインの私兵は少しムッとして、ユリウスはジークヴァルトのその言葉に嫌な予感を感じながら彼を振り返った。
(ジーク……?)
すぐ側に居た希美子は、ジークヴァルトの只ならぬ様子に戸惑う。
ジークヴァルトは耳を澄ますようにしてゆっくりと右へ、左へと視線を動かして……下をみた。
そして、腰を下ろして地面に触れたかと思うと――這いつくばるようにして耳を当てる。
「………………おい、お前ら今すぐレイアへ戻れ」
「は……?」
ムッとしていた私兵達の数人が「予想外の事を言われた」とばかりに間抜けな表情をして――ジークヴァルトの実力を知る者は険しい顔になった。
「何が、起こっているんです……?」
スタンピードが来る、死竜が来る、もうそれだけで自分達の手には既に余っている状態だ。
これ以上何が――
聞きたくない、しかし聞かざるを得ない。
「……地面を、何か巨大なモノが掘り進めてやがる」
――巨大なモノ、何だそれは?
この場に居る者、全員がそう思った……しかし、驚愕は更なる驚愕へ――
「しかも複数箇所から全てレイアに向かってな」
「何だって?!」
「うるせぇ、まだ話は終わってねぇ!」
耐えきれず声を荒げた兵の一人に珍しくジークヴァルトが怒鳴り声をあげた。
その事実に希美子の不安は最高潮へ達する。
(ジークが……あのジークがこんなに焦ってる……)
「掘り進められた穴の中を、大量の魔物が走ってやがる」
驚愕に次ぐ驚愕、そしてそれは――
「――スタンピードはもう始まっている」
――絶望へ
「そ……んな……」
若い兵が足に力を無くしてペタンと地面に崩れた。
「おい、代表さんよ。ここらの私兵、直ぐに集められるのは何隊、何人になる?」
ジークヴァルトの言葉に一瞬呆けていた私兵の代表は弾かれたようにハッとして言葉を続けた。
「此処にいる我が隊を含めて他ニ隊!計七十五人なら!」
「……わかった、下がってろ」
ジークヴァルトが拓けた地面に向かって手をかざすと、先ほど聖白竜を召喚した時よりずっと小さなサークルが一度に数十カ所出現した。
そして、そのサークルへ先程よりも短い文字を巻き取って、辺り一面が光に包まれた次の瞬間――大きな白い狼の群れが出現した。
「しょ……召喚術式だと……?」
「しかも一度にこんな……」
「……これが、A級――」
白い狼の群れの中から一際大きな狼がジークヴァルトの元へ進み出た。
『……愛し子、どうしたのだ?』
「緊急事態だ、コイツらを乗せてレイアまで向かってほしい。群れの長はコイツだ、何かあればコイツに聞いてくれ」
『……………………』
突然現れた白くて大きな狼は、ジークヴァルトの言葉を聞くと押し黙り、表情を変える事なくジッとジークヴァルトを見つめていたので、側にいた希美子はハラハラしながら成り行きを見守る。
『よかろう……しかし、次に会った時は其方に居るお前のツガイを私にも紹介するのだぞ?』
「……わかった」
巨大な狼とその群れを前に唖然と立ち竦んでいた兵達が「え、俺たちコレに乗るの?」とジークヴァルトに何やら聞きたそうにしていたが、ジークヴァルトはそれを黙殺する。
「ユリウス、お前達はコイツらと戻れ」
「なっ……?!」
「え?!」
そう言いながらジークヴァルトは希美子を胸に寄りかからせるような形で再び抱き上げた。
「怪我人が大量に出るだろうが、お前ら二人もこっちには必要無い。俺も直ぐに終わらせてレイアに向かう」
「っしかしジーク!もしもの事が――」
「あったとしてもお前ら二人を二箇所に分ける訳にはいかねぇだろうが?」
しかし――と、なおも言い募ろうとしていたユリウスにザッと一歩踏み込んで距離を詰めると、ジークヴァルトは吐き捨てるように歯を食いしばりながら――
「俺が死ぬ確率よりもお前らが死ぬ確率の方が大きい、そんな時にツガイ同士を引き剥がす趣味は無えッ!」
声量だけは静かにそう言った。
その言葉に、ユリウスは何か己の過去を悔いるようなそんな目をしながらジークヴァルトの目を強い眼差しで見つめ、しかしわなわなと揺れる唇からは何も紡ぎ出せず――
「ねえ、私。希美子ちゃんを護るって言ったよね?」
自分のツガイの、不機嫌さを滲ませたその言葉に……怯えたように震えた。