27.狼獣人さんと騎士団長

(……クソが)

 ジークヴァルトは円卓の下で希美子の手を握りながら、悪態をついた。

 少し震えた希美子の手が、彼女がどんな思いで今の言葉を口にしたのかを伝えてくる。

 自分が行けば、自分にもしものことがあれば、希美子自身も死ぬことになる。

 魔力定着の済んでいない落ち人は、苦しんで死ぬ事になるのだと一番最初にジークヴァルトは希美子へ説明した筈だ。

 意外と頭の回転が速く、賢いこのツガイがその内容を忘れているとは思えない。

 ジークヴァルトは舌打ちしたい気持ちで苦肉の策を口にする。

「――樹海へは、希美子も一緒に連れて行く」

 ジークヴァルトの言葉に一番の驚きを示したのはギルド長であった。

「本気かいジーク君?!」

 けれどもジークヴァルトはそれを睨み付けるだけで、内心の苛立ちを隠そうともせずに続ける。

「俺は初めにこいつに約束した。魔力定着が、成功しなければ俺がこの手でこいつを殺してやると」

 ジークヴァルトのその言葉を聞いて、皆が一様に動揺した。

 ユリウスは信じられないものでも見たかのように、妙子は希美子を心配そうに覗き見て、紗枝は口に手を添えて眠たげだった瞳を見開き、ギルド長は口をパクパクさせていた。

 ずっと余裕ありげな表情をしていたクリストハルトまでも驚きに目を丸くしている。

「何を驚いている、貴様らが言ってるのはそういうことだろうが」

 ジークヴァルトは冷めた目をして事も無げに言った。

「それとも何か?俺が死ぬような事は万に一つもないと、そんなおめでたい事を思ってる訳じゃ無いだろうな」

 ジークヴァルトの言葉に、皆が一様に口を噤んだ。そんな中で、ショボくれた情け無い声ながらも、彼に物を言えたのはギルド長だった。

「でも、樹海に連れて行くなんて、さすがに無茶……だよ。ほら、他にも何か……」

 ジークヴァルトの冷たい瞳を受けつつも、ギルド長はゴツい身体を揺らして説得を試みようとする……

 「絶対なんていう保証はどこにもない、俺が何かに失敗した時――今際の際で、こいつの苦しんで死ぬ姿を想像しながら逝けと……?希美子は連れて行く。この依頼を受ける以上、その条件は絶対だ」

 「そんな……」

 ジークの気持ちが固いと、理解するやギルド長は悲痛な面持ちで二人を見つめた。

 クリストハルトは、優しげだった目元をグッと閉じ、黙り込む。

 沈黙の中、次に口を開いたのはユリウスであった。

「私たちも一緒に行きますよ」

 『私達も』と言ったユリウスの言葉に、希美子は伏せていた顔を勢いよく上げて妙子に向き直った。

 妙子は先程までの、どこか人を食ったような雰囲気を無くして、希美子に優しく語りかけた。

「昨日ユリウスから話を聞いたんだよ。どうなるかって話してたらさ……ユリウスが話してた通りになっちゃうんだもんね。私はもう魔力定着も済んでいるし、回復魔法も使う事が出来るんだよ?だから私も希美子ちゃんを護ってあげるね!」

 そう言ってにっこり笑って希美子の手を握った妙子の言葉を、希美子はすぐに理解する事が出来なかった。

 迷子のような目をして、妙子とユリウスを見つめている。

「王都の人間は私が妙子を連れて行くことに難色を示すでしょうが『現場主義・現場判断・事後報告』どれもバッハシュタイン卿に教えてもらった事です」

 そう言ってにっこり笑ったユリウスに、クリストハルトがふっと笑うと――

 「何かあれば、全ての責任はバッハシュタインに……成る程、確かに今回我々が出来るのは『責任を取る』その一点のみ――ゴットハルト・バッハシュタイン名代、クリストハルト・バッハシュタインが全てを許可する。君達に任せよう」

 ――――――

 ――――

 ――

 クリストハルト・バッハシュタインは、冒険者ギルドの会議室の窓から、アリスが彼女の護衛達と二人の落ち人とそのツガイ達を見送る様子を眺めていた。

 彼は今回、冒険者ジークに断られる事を頭の片隅に可能性として置いていた。

 バッハシュタインの影によると、冒険者ジークは件の『落ち人様』にかなり入れ揚げているようであったし、自分も落ち人を頂く身として気持ちがわからないではないと、そう思っていたからだ。

 しかし彼は……ジークはクリストハルトが思うよりもずっと理性的にそして深く落ち人を愛しているようだと、そう感じた。

 クリストハルトが希美子に投げた言葉はただ一つ。

『このレイアをどう思っているか』

 その問いに対して、彼女はクリストハルトの予想を遥かに超える言葉をくれた。

 領主の息子として、あんなに喜ばしい言葉も無いと――しかしそれと同時にジークに対する深い愛も感じ取れた。

 彼女はたった一晩で――あのわかり辛い男が、このレイアを憎からず思っている事を理解しているように思えた。

『この街を護るのが私の夫なのだとしたら、私はそれを誇りに思います』

 安い正義感で男を囃し立て、死地に向かわせるような女であればそれもまた僥倖。

 その程度に思っていたクリストハルトは、あの言葉を聞いた時はじめて彼女を個人として認識した。

 クリストハルトの質問の意味を瞬時に理解して、ただ自分の想いだけを口にした。

 そこまで考えて、クリストハルトはふと冒険者ジークとの出会いを思い出す。

 彼とはじめてあったのは城の謁見の間であった。

 ――ジークの幼少期を知る者は居ない。ただの一人も。バッハシュタインの影を持ってしてもその痕跡を辿れなかったのだ。

 彼はいつの間にかこの国へ現れ、冒険者となるまでの間、孤児でありながら自分の食い扶持を稼ぎ領地を転々としていたという。

 やがて冒険者登録出来る『見た目年齢』になるとすぐに彼はその頭角を現した。

 ゴブリンキング討伐をはじめ、北の領地で猛威を奮ったワイバーンの討伐、北の山村に襲来したドラゴンの討伐と、すぐにその名はバッハシュタインの知る事となった。

 東の領地で起こったスタンピードでの功績を称え、王のお言葉を賜るも褒章に話が及ぶとそれを断ろうとしたのでクリストハルトが慌てて間に入った。

 彼は首輪をつけられる事を嫌がったのだと直ぐにクリストハルトには理解出来たので、褒賞は金貨に留められた。

 面倒ごとになる前に割って入ったクリストハルトに、意外にも彼は感謝の意を示してくれたので、調子に乗ってレイアに来て見ないかと誘ったら案外すんなりと彼はそれに乗った。

 彼をこのレイアになんとか留めて置けないかと、適当な理由をつけて家を押し付けた時には嫌そうな顔をしていたが、別荘だと思ってくれれば良いと住む事を強要しなかったらそれも案外簡単に受け取ってくれた。

 あの家に、彼が来る事はついぞ無かったが。

 そして、その家に彼が落ち人を連れて来るなんて想像もしていなかったが。

 先程から『案外すんなりと』であるとか『案外簡単に』と彼は思っているが、クリストハルトの真っ黒な腹を本能で感じ取ったジークヴァルトが、逆に面倒になりそうだと思った段階で折れていただけである。

 クリストハルトの腹は真っ黒だが、ジークヴァルトが本当に嫌がる事を最終的に強要する事は無かったので、それでいいと思っていたようだ。

 自由で在る事、それは獣人の本能なのかもしれない。

 相手の地雷をギリギリ踏み抜く事をしないクリストハルトの嗅覚、ジークヴァルトは彼に一目置いてはいるが少々苦手でもあった。

「クリストハルト様、戻りました」

「……アリス、落ち人様方と少しは話ができたか?」

 眠たげな瞳を嬉しそうに細めた紗枝は、先程の会話を思い出しながら嬉しそうに可愛らしい唇を開いた。

「はい、お二人ともこの件が無事に終わったら王都に遊びに来てくれると約束してくださいまし……あ……」

 紗枝が言い終わるよりも先に、クリストハルトは彼女の腕を引いてその唇を塞いだ。

 此度、彼らに何かあればバッハシュタインは窮地に立たされるだろう。

 自身の家に再び落ち人を頂くだけでなく、領地にまで――それも同時期に二人も手中に収めていると見えるバッハシュタインに対する嫉妬はもはや社交界において止まる事を知らない。

 そんな中、その落ち人を死なせたりすればどうなる事か。

 たった半年で、その存在を貴族達に知らしめ、令嬢達を裏で操るまでに至った彼女に理解出来ぬ筈は無いと言うのに。

 何も知らない愚かな令嬢のように振舞ってみせるこの女が――クリストハルトは可愛くて仕方ない。

「ん……」

 味わうように優しく、けれども深く彼女の唇を味わう。

 うっとりとしながら、大人しく彼の口付けを受けていた紗枝であったが、彼の手が紗枝の腰から胸の膨らみへと伸ばされた時、ピクリと肩を跳ねさせた。

「ッ……い、いけませんクリストハルト様、こんな所で……さっきも……」

「何を生娘のような事を、それとも魔力定着が済んだら私は用済みか?」

 そんな――紗枝が意味のある言葉を発せられたのはそれが最後だった。