26.落ち人さんは狼獣人さんが好き

 ゴットハルト・バッハシュタインの名代を名乗った男は、件の領主の三番目の息子クリストハルト・バッハシュタイン。

 このイスターレ王国の騎士団長だった。

「はじめまして落ち人様方、私はクリストハルト・バッハシュタイン――以後お見知り置きを 」

「は……はい……」

「よろしく……?」

 胸に手を当て希美子達にそう言ったクリストハルトの声は、それこそ貴族のご婦人方が聞けば皆が皆ウットリしてしまうのでは無いかという程に甘かった。

 ジークやユリウスよりもずっと年上だと思われるその男の渋みがかった甘いマスクは、若い頃さぞ女を泣かせて来たのだろうと思わせるもので、希美子と妙子は――正直、その匂い立つような色気に引き気味だった。

(……こ、これが噂の騎士団長……だよね?って事は、この人も『落ち人』がいるんだよね……?)

 希美子は、このダンディな迫力色気オバケに自分と同じ日本人の女の子が並び立つ姿が想像できないでいた。

(どんな女の子なんだろう……?)

 正直、並みの女子なら怖気付いてしまうレベルだ。先程まで元気に希美子に食いついていた妙子ですら「うあ……近付いただけで妊娠しそう……」などと言っている。取り敢えず彼女のツガイは女性と見間違う程の美貌の麗人なので、目の前にいる『男の色気の塊』とはジャンルが違う。単純に好みでは無いのだろう……それは希美子も同じだが。

 クリストハルトはスッと視線をユリウスに向けると黙礼し、ユリウスもそれに一つ微笑むと黙礼で返した。

 それを何処か寂しげに見つめた後、その視線がジークヴァルトと絡む。

「久しいなジーク、健勝であったか?」

「……見ての通りだ、アンタも随分元気そうだな。後ろにいるのがアンタの落ち人か?」

 形状記憶された眉間の谷をそのままに無表情のまま発せられたジークの言葉にクリストハルトが、希美子達から死角になっている扉の向こうへと移ると、真紅のドレスを身に纏った女性が一人しずしずと入室してきた。

 長く艶やかな黒い髪、黒目がちの瞳はどこか眠たげに伏せられ、真紅と言う一見派手なドレスを身に付けているにも関わらず、庇護欲を誘うような――雰囲気のある女性だった。

(あっ……うん、なんか分かる気がする……お似合いかも)

 甘々セクシーダンディと、希美子よりも少し年上と思われる品のある彼女は『同じ世界』の人だなと希美子は思った。

 ちなみに妙子が「……プレイ内容が凄そう」と呟いた言葉は聞かなかった事にする。

「アリス、自己紹介を」

 希美子と妙子の懸念していた名前をそのまま呼ばれた女性は、ドレスの裾を持つと姿勢良く腰を少し下ろしてから自己紹介をした。

「有栖川紗枝と申します」

(有栖川さんだった!)

 希美子と妙子の心は一つになった。

『有栖川さん』は、姿勢を元に戻すとチラリと希美子達に視線を合わせて黒目がちな目を細めて微笑みかけてきたので、希美子と妙子は反射的に――にへらっと笑って返した。

 二人が円卓の椅子へ座る姿一つとっても何処か洗練されており、希美子は紗枝のその姿を見て、一朝一夕に身に付く物だとはとても思えなかった。

(この世界に来て半年……?クリストハルトさんと一緒になる事になってから貴族教育を受けたりしたんだとしても……)

 醸し出す雰囲気からして自分とはまるで違う紗枝の姿を不思議に思って見ていると、妙子が希美子の腕をちょんちょんっとつついてきた。

「有栖川さんめっちゃ美人だね?お嬢様かな?」

 もしくは、彼女のような品を求められる仕事に就いていたか……どちらにせよ希美子はジークヴァルトが貴族じゃなくて良かったなと思った。

(あ、あんな品を出せる気がしない……)

「ジーク、事は既に一刻を争う段階となってしまった。本来なら今すぐにでも樹海へ向かって貰いたいが、それが難しいのも理解しているつもりだ」

 クリストハルトは優しげな表情を保ったままではいたが、その瞳は注意深くジークヴァルトのかすかな変化も見逃すまいとしている様子がわかる。

「君に断られては元も子もない。既に貴殿のペットの使用許可も父から得ている」

「許可されたところでその案は却下だ。小型の奴らが魔物と間違えられてお前らの私兵に退治されちまう可能性があるだろうが」

 クリストハルトの言葉に不機嫌さを隠しもせずに投げるような物言いでジークヴァルトは言った。

「大型の奴らにしたって、どっかのギルド長と大して変わら無い結果になるからな。更地とまではいかないが、焼け野原にしちまったら大して結果は変わらねえだろうが」

 希美子は、ジークヴァルトのペットとはなんだろうと不思議に思っていたが、先ほどから希美子に添えられた彼の手がトントンと手の甲を叩いたのを感じたので、説明してくれる気はあるのだろうと踏んで今はその疑問を飲み込んだ。

「――希美子様、このレイアの街並みはあなたの瞳にどう映ったでしょうか?」

「おい」

 クリストハルトが希美子に水を向けたのを認めてジークヴァルトが不機嫌そうにしたが、それでもクリストハルトは希美子に話しかけた。

「街の人間は、あなたに不快な思いをさせはしなかったですか?丘の上の家は気に入っていただけましたでしょうか」

 この時、希美子はあの丘の上の可愛らしい家が、彼によってジークヴァルトに与えられたものだったと思い出した。

 そして、ジークヴァルトに連れられて初めて、このレイアに訪れた昨日からのこと思い出す。

 可愛らしい街並みと花々は、まるでおとぎ話の世界に来たのだと希美子に錯覚させるほど美しいものであったし、希美子の着替えを手伝ってくれた神殿の女性たちはジークヴァルトに怯えはしても、希美子にはとても親切に丁寧に接してくれた。

 ユリウスとその部下、ヨナスは嫌な顔一つせずに婦人服の店の地図を書いてくれた。

 ジークヴァルトが連れて行ってくれた定食屋の夫婦とジークヴァルトの親しげな雰囲気を見て、希美子の知らないジークヴァルトをこの先もこうやって知っていく事が出来るのかと嬉しかった。

 果物屋のおばさんは終始笑顔で希美子と話してくれたし、希美子にくれた果物はどれも甘くて美味しかった。

 錬金術師のジベット爺さん――最初は堅物そうで恐ろしい人なのではと思ったが、リリーといる姿は孫を思う祖父以外の何者でもなかった。

 人懐っこく、物怖じしないリリーは……まぁ、少々お調子者の嫌いはあれど、彼女が描き出す衣服のデザインはどれも希美子の好みを考慮したものであったし、少女でありながらそのプロ意識と商魂の逞しさに希美子は、少したじろぎはしたものの、彼女達とああでもないこうでもないと言いながら過ごしたひと時は……まぁ少し、いやだいぶ、疲れはしたものの希美子にとって楽しい時間であったことに変わりはなかった。

 この街に来て、自分と二人きりの時のジークヴァルト――

 ――それ以外を知ることが出来て嬉しかった。

 彼は、希美子の思った通りの男性だったと知ることが出来た。

 いつも不機嫌そうに眉間の谷間を作りつつも、誰一人彼を厭う人はいなかったのだから――まあ、神殿の女性達はジークヴァルトに怯えていたけれど、その原因は自分にある……半分、いや、三分の一くらい?

 誰かと接する時のジークヴァルトの空気は柔らかく、乱暴な口調からは想像も出来ないほど細やかに人の事を見ている。

 ――彼はきっと、この街が好きだ。

 面倒ごとを嫌う彼が、付かず離れずの距離を保ちながらも街の外に家まで建てて生活していたのが良い証拠だ。

 希美子は、ギルド長の説明で理解出来ていないことの方が多いかもしれないけれど、このレイアの平和が脅かされ、そして皆がジークヴァルトの力を必要としている事だけはちゃんと理解していた。

 そして、それを阻んでいるのが『落ち人』である自分の存在なのだと言うことも。

「昨日初めて、この街に来た時まるで夢のような街だと思いました。可愛らしい家と綺麗な花に囲まれたその街並みはとても美しくて……こんな場所に住めたら幸せだろうなと思いました。街の人はみんな私に親切にしてくださいました……だから……」

 確かに自分を愛してくれている彼の気持ちと、この街を好きなのだろう彼の気持ち、その二つを護りたい。

 どう言えばいいだろう、何て言うのが正解なのだろう――

 ジークヴァルトがいくら強いと言ってもそれは希美子にとってまた聞きでしか無い、戦いに行くと言うのならそれは百パーセント彼が戻って来るという保証はどこにも無い。

 そして、彼が帰らないのなら魔力定着の済んでいない自分はどうなるのか。

 そんな事、一番最初にジークヴァルトが説明してくれた。

 ――壮絶な、死。

(……死ぬのは、怖いなぁ……覚えてないけどきっと前だって凄く痛かっただろうし……)

 でも……と希美子は思う。

 希美子はもう、彼の優しさを知っている。

 彼の温かさも。

 彼は、自分にその力があるにも関わらず、親しい人を見捨てて――この先も、変わらず、迷う事なく、自分を抱きしめてくれるだろうか。

 そこまで考えて、希美子は自嘲するように少し笑った。

 彼の為には、なんて言いながら結局は自分の事しか考えていない。

 後悔する彼を見たくない――自分

 抱きしめる時は迷って欲しくない――自分

 希美子は赤の他人の為に、命を投げ出せるような人間では無い。

 でも、ジークヴァルトとの未来――迷いの無い幸せな未来の為になら――

(自分の為の事だもの、いざという時は――自分で責任をもたなくちゃね)

 ずっと迷うように下を向いていた希美子が、再び顔を上げクリストハルトを見た。

「――この街を守ってくれるのが私のツガイだとしたら、私はそれを誇りに思います」

「…………」

 円卓の下のジークヴァルトの手が希美子の手をきつく握りしめた。