22.落ち人さんは立ち尽くす

「おおおおおおおっ『落ち人』様っす!!本当に『落ち人』っす!!『落ち人』様がチューして……いいえ!見てないです見てないですよ?!見てないですけど生チューはじめて見たっす!!あ、見てないですよ?!!」

 ……リリーは、嘘をつく時だけ敬語が綺麗になる残念系少女だった。

 一方希美子は、あれだけリリーが後ろで騒いでいると言うのにマイペースに『べろちゅう』を続けるジークヴァルトに対してパニクっていた。

(ええ――?!なんで?!なんで?!え、ちょソコ気持ちぃからヤメテ……あっ……吸っちゃ……ああっ――)

「――ッリリー?!」

「?!!?!」

 リリーの悲鳴に驚いたのか、先ほどの余裕満々自信満々のマフィア(仮)な仮面をすっかり付け忘れてドタバタと駆けつけたジベット爺とまで目が合った希美子。

(ええっちょ、うわぁんっジーク!なんでぇ?!)

 しかし、ジークヴァルトの口付けを拒む選択肢なんて頭の片隅にも無い希美子であった。

「きゃーっ生チューっす!生チューっす!なま……あだ?!!爺ちゃん何するっすか?!痛いっすよ?!」

「………………」

「ダンマリっすか?!爺ちゃんの悪い癖っすよ?!他の人が居る時妙に格好つけ――いだだだだだだっ!!グリグリは痛い!グリグリは痛いっすー!!」

 一目見て状況を理解したジベットに拳骨とグリグリをお見舞いされたリリーは、その制裁を受けた後しばらく床に崩れて悶えていたが、ジベットはソレを一瞥するだけでそのまま二階へと戻って行った。

「はー酷い目にあったっすねぇ……」なんて言いながらフラフラとカウンターから顔を出したリリーは、自分に影が差した事に気付いて上を見ると……

「おいガキ、見物料は高くつくぞ?」

 ジークヴァルトの八重歯がギラリと光り、リリーは一言……

「お、お勉強させていただくっす……」

 と、無理やり上げた口角を引攣らせたのだった。

 ――――

 ――――――

「予算を勉強する必要は無い、お前は与えられた仕事を全て最短時間で仕上げろ」

 ジベットが休憩に入ったので、店の鍵を閉めて中央にある超高級応接ソファーに腰掛ける希美子達の向かいに座ったリリーに開口一番ジークヴァルトから告げられた言葉がそれだ。

 リリーはその言葉の持つ意味に気付くと、ヘラヘラしている顔が常の彼女に珍しく、目を丸くして固まった。

 一方希美子は、こんな年端もいかない少女に『ブラック労働体制』を宣言したジークヴァルトに若干腰が引けている。

「じ……ジークさん、それは……」

「それは、店じゃ使わせて貰えなかった高級布も扱わせて貰えるって事ですか……?」

 ん?あれ?なんか逞しい言葉が聞こえたぞ?と、希美子は言いかけた言葉を飲み込んでリリーに視線を戻した。

「ああ、そうだ。俺のツガイは一昨日この世界へ来たばかりて服も下着も最低限しか持ってねぇ」

(いや?!持ってるよ?!あの広いウォークインクローゼットの一角がすでに埋まってるよ?!)

 ジークヴァルトの言葉に信じられないと言う顔をした希美子だったが、彼の目的がリリーに仕事を与えてジベットに恩を売るという事だったのを思い出すと、視線はうろうろ動かすものの口を引き結んだ。

「それは……エプロンだけじゃなく、普段着からドレス、下着やネグリジェ、ハンカチからスカーフ……ストールにコートに――」

「生活に必要な物全てだ」

「ど……どうして、アタシの仕事はエプロンしか見てないんすよね?」

「果物屋のババアが、お前の仕事は確かだと言った。お前が下手な物を作るようならクレームはあのババアに言う」

 ちゃっかりしっかりアマーリアまで巻き込む気満々のジークヴァルトだった。

 しかし、ジークヴァルトのこの言葉を聞いたリリーがハッとした顔をして、下を向き――プルプルと震えだしたので希美子は大いに慌てた。

(そ、そうだよね?!お世話になってる?おばちゃんに迷惑がかかるかもって思ったら嫌だよね?ああっどうしよう?!)

 リリーの様子を心配した希美子がジークヴァルトに何かを言いかけた時、ジークヴァルトは心配無いとばかりに希美子を手で制した。

「お前がコイツ希美子の気にいる物を作るかぎり、コイツ希美子の専属はお前だ。手伝い程度なら構わないが、他の人間が作る事は禁止する」

 ジークヴァルトのその言葉に、さすがのリリーも「ん?なんでだ?」と言うような、訝しむ視線をこちらに寄越してきた。

「こうでも言わなきゃお前の店じゃ上の人間が出しゃばって来るんだろうが?面倒事はごめんだ 」

 貴族御用達ともなれば、『落ち人』様専属の店になったと触れ回っては、貴族社会で新しく流行らせたいものなど希美子の好みや都合も構わず着てくれと言い出す事が目に見えていた。

 ――希美子がソレを聞いたなら『スポンサー契約……』と言っただろう。スポンサーなら金払え、である――

 人の良い彼女はきっと二つ返事で了承するだろうが、希美子を利用して金儲けしようなどと言う輩に彼女の自由が縛られるなどあってたまるかとジークヴァルトは考えていた。

 そんなジークヴァルトの懸念など、その場で働いている彼女に察せない訳もなく。

「――わかったっす、全部アタシに作らせて下さいっす」

 ――――

 ――――――――

 あの後、一度席を外して二階へ戻ったリリーが最初に持ってきた仕事道具の倍程もあるカバンを持って降りてきた。

「爺ちゃんに紙鳥飛ばして貰ったんで、後で布屋の友達も来るっすよ!」

 希美子は彼女の切り替えと仕事の早さに舌を巻いた。普段の親しみやすい雰囲気で誰もが見落としがちだがリリーは腐っても、あの希代の錬金術師ジベットの孫娘なのである。

 仕事はデキル女なのだ、回して貰えないだけで。

 軽く採寸を終え――驚いた事に、リリーはジークヴァルトの威嚇するような視線をサラリと受け流した。爺で慣れていたのかもしれない。

 鈍くなってしまっているとも言える。

 威圧や殺気にあまりにも鈍いリリーの事が、少し心配になったジークヴァルトだった。

「おばちゃんに作ってあげたエプロンといえば、ワンピースエプロンっすかね?!」

 赤毛の、短めポニーテールをぴょこぴょこさせながら、緑色の目をキラキラさせるリリーはそばかすがとてもキュートな少女だなと希美子は思った。

「そう、あれとっても可愛かった!シルエットがこう、Aラインで広がってて……」

「おばさんは歳の割にスタイルがいいっすからね!似合う前掛けをって考えたらああなったっす!」

 ぐ……と希美子は思う、自分のスタイルについて少し思う事があったからだ。乙女の秘密なので何処とは言わないが。

「希美子さんはアレを見て来てくれたんっすよね?やっぱり同じのがいいっすか?」

「うん?……あ、もしかして何かアイディアがあるの?」

 口元に拳を当てて考えるような仕草をしていたリリーに希美子が聞くと、彼女はニヤリと笑って饒舌にアイディアを上げて行った。

「希美子さんは細身なので、前掛けの下の部分にボリュームを持たせてフンワリとスカートみたいにしても可愛いっすよ、例えば……」

 

 そう言ってリリーがスケッチブックのような物を取り出した。

(ヨナスさんの時も思ったけど、紙が普通に普及してる世界なんだなぁ……これも『落ち人』さんがいたから……?)

「コートもこんな感じで……ジークさんと居るなら何処に行くかわかったもんじゃ無いっすからね、数種類あってもいいっすね……」

 サラサラと描かれていくデザイン画に希美子はワクワクしてしまった。

 ワンピースエプロンに、プリンセスコート、トレンチのようなデザインもある。

 もちろん、すぐには使わないコート以外にも普段着のデザインもサラサラと描いていった。

「希美子さんの着ているデザインも、私たち平民に溶け込むって言う意味ではいいんすけど……ちょっとお偉い方に会う時、ドレスまではいかないけどって時とかも……寒ければストールを、ほら、ね?」

「――うん、凄いよリリー!全部可愛い!」

「うはっほんとっすか?!いやぁ、嬉しいっすね!」

 その時、扉をノックする音が聞こえてきた。

「リリー?布ぉ持ってきたよぉ?」

 先ほど話をしていたリリーの友人が布を持って訪れた。

 リリーが扉を開いて招き入れると『うわぁ……本当に落ち人さまだぁ……』とおっとり呟き、挨拶を交わして直ぐに外から尋常じゃない量の布を抱えて入ってきた。

 引き馬車いっぱいに布を持って来たとかで、『レメル』と名乗った少女が一人で一度に二十巻もの布を中へ運び入れては並べて行く様子に、希美子は呆気に取られていた。

「えへへ、祖父がドワーフなんですぅ」

(いるのか、ドワーフ!いるよね、ドワーフ!……って事は小さいだけで年齢が意外と……?それよりも、話の流れから言って『ドワーフ』イコール『怪力』って事なのかな?)

 リリーよりも少し身長の低いレメルは茶色くて長い髪の毛を後ろで三つ編みにしているタレ目がちな女の子だった。

「リリーに『落ち人さまのお洋服を作る』って紙鳥を頂いたので……魔識布を中心にお持ちしましたぁ」

「『魔識布』?」

 レメルの言葉に首を傾げると、うふふと微笑んだレメルが説明してくれた。

「魔力識別紙、その布バージョンで魔力識別布、略して魔識布と言いますぅ。別名ツガイ布とも言いますねぇ、落ち人様が好まれると言うので社交界などではこの布を用いたドレスの流行が定期的にあるんですよぉ。希美子様も好まれるかと思ってぇ、お持ちしましたぁ」

「ッ――!」

(――ぐっじょぶレメたん!)

 希美子は心の中でレメルにサムズアップした。

 希美子の嬉しそうな表情をおっとりと見つめたレメルは、ある一角を指差す。

「ちなみにぃこちらにある白い布はぁ、全て魔識布ですう」

 レメルが差した一角には五十巻きほどもあろうか……白い布が山のようになっていた。

「あ、ジークさん。お仕事っすよ、全部染めちゃって下さいっす」

「えええっ?!」

 リリーの言葉に驚いたのは希美子だった。

 布五十巻き、一体何にそんなに使うと言うのか?……希美子の衣料品だが。

「お前、何を驚いてる。神殿で言ってた事は嘘か?」

「いや、うん!出来たら全部ぜぇんぶジークの色の服にしたいよ?!でもさ、下着とかエプロンとかって汚れる前提の物をジークの魔力の色したの使いたく無いし……」

「……汚れたら俺が綺麗にしてやるから我が儘言うな」

「え、我が儘?!我が儘かな?!」

 ジークヴァルトから投げられた予想外の球に希美子が面食らっていると、リリーとレメルが

「そーだそーだぁ希美子さん我が儘っすよー?」

「そうですよぉ、旦那様をあまり困らせちゃいけませんよぉ」

 と囃し立てて来て軽いパニックを起こした希美子は何が正しいのかわからなくなってきた。そして――

「え、あ!!ジーク!!?」

 希美子がパニクっている内にサラリと仕事を終わらせるA級冒険者。

 仕事が早い。A級は伊達じゃなかった。

「いいかリリー、エプロンと言わず下着も夜着も全てこれで作れ。命令だ」

「了解っす!ジークさん!」

 ジークヴァルトの言葉に胸に手を当てて了解を示すリリー。――この世界の敬礼だろうか。

 そんな二人に今度はレメルが大量の糸を持ってジークヴァルトの前に置いた。

「此方で柄布も作らせていただきますぅこちらはぁ刺繍糸ですぅ……はい、確かにぃ」

 ふふ、魔力の多いツガイさんは助かりますぅと言ってレメルはジークヴァルトの色に染まった糸の束を大切に鞄へ仕舞い、刺繍糸はリリーに手渡した。

(え、あれ?え、あれ?私……?私がおかしいの?!)

「ジークさん、次はぁ綿なんですがぁ」

「希美子さん!ネグリジェのデザイン!これでどうっすか?!あの、スケスケのヤツで作りましょう!」

「リリー、許可する」

「ヒャッホーウ!さすがジークさん!むっつりスケベぇ……あだっ?!!い、痛いっすジークさん?!耳、耳取れちゃう!取れちゃうっす!!」

 もう、何処を見て何を注意すれば良いのかわからなくなった希美子はただただ呆然と立ち尽くすのみであった。