17.狼獣人さんヒヤヒヤする

 お風呂騒動の後、ここへ二人で住むことを決めたジークヴァルトと希美子は、さっそく巣作りを始めた。

 一階はキッチン、リビングダイニングと、奥にはお風呂とトイレ。

 玄関を開けてすぐにダイニングになっており、奥にキッチン――更に奥に納戸、左手のリビングにはソファと暖炉があり、その奥がお風呂とトイレだった。

 キッチンはカウンターキッチン風になっており、作業をしながらダイニングキッチンを見渡せる。

 こちらにも小窓が完備されており昼間はとても明るい空間だ。

 ジークヴァルトは冷蔵庫と思しき魔道具へ、アイテムボックスから適当に食材を出すと詰めていった。

 希美子は納戸にあるものの確認に行ったのだが、保存食と思しき肉類がガラスケースに敷き詰められているのと、ワインセラーと思しき棚があり、掃除道具等は申し訳程度にしか無かった。

 まあ、基本的にはアーティファクトの影響で必要無い物なので……。

 後は、ペーパーや布の山など消耗品に近いものが几帳面に棚へ纏められていた。

(これは……ジークがやったのか、それとも前の家主がやったのか……掃除が必要無いにしても片付けがとても行き届いてる……)

 希美子は自分の女子力に一抹の不安を覚えながら納戸を後にした。

 キッチンカウンターの前のテーブル、その向こうに玄関が見える配置である。

 リビングは寛ぎの空間になっているのか、柔らかくて気持ち良さそうな大きなソファがあり、その手前にある暖炉に浪漫を感じながらも希美子は不思議に思う。

(……これだけ魔法で色々出来るのに、冬場に暖を取るのはコレ……?)

 実際、本当に家主の浪漫で魔法によって煤が出ない、消えない炎が揺らめくアーティファクトなのだが、希美子が使い方を知るのは冬が来てからになる。

 二階に上がると、部屋は三つ。寝室とゲストルームと思しき部屋と、書斎があった。

 広い寝室のスペースには、この家の雰囲気には豪華すぎるキングサイズの天蓋付きベッドがあった。

 一目で高価だとわかるそのベッドだったが、ジークヴァルトは寝具は後で買い直すと言う。

「さっき外で敷いてやった布があっただろう、アレと同じ素材を使って作らせればコレよりマシになる」

 一目で最高級品とわかる寝具を指差して言った台詞がコレだ。

 実際、洗浄魔法などがあるこの世界でも、誰が使ったかわからない布団をそのまま使うのは獣人的には少し落ち着かないらしく、希美子はソレを聞くと素直に頷いたのだった。

 寝室の中にある小さなアーチを潜ると、そこにも一部屋――ウォークインクローゼットと思しき空間があったので、希美子はジークヴァルトに自分の服を出してほしいとお願いしたのだが、ここで一悶着あった。

 先ほどの婦人服店で、希美子が「いいかも!」と、思って手に取った衣服や下着、チラリと横目で見ては今は必要無いと目を逸らした髪留めやスカーフ等のアクセサリー類まで出てきて希美子は大いに慌てた。

「一つも持ってねぇから買っただけだ、次は欲しいものは言え」

 と、言われたので希美子はお礼を言うしかなくなった。

 中には覚えの無い衣服もあったが、希美子の趣味に合っていたので大切に使わせてもらおうと一つ一つ丁寧にしまっていった。

 買ってもらったお礼は言った。でも……と、希美子は思う。

「ありがとう、ジーク……」

「…………ああ」

 一つ一つ手に取る度に、何か胸の奥がくすぐったいような、そんな気持ちになって、自分の些細な視線さえ気付いてくれたジークヴァルトを思うと、思わずにやけてしまった希美子の言葉に、ジークヴァルトは形状記憶された眉間の皺はそのまま、それだけ言った。

 寝室のドレッサーの引き出しに髪留めを仕舞っていると、中にヘアブラシがあるのに安堵したが、その奥にヘアアイロンまであって、この家の前の家主――話に聞く落ち人の逞しさに若干顔が引きつった希美子だった。

(……なんか……前の世界と変わらない生活をする為に惜しみなく能力を使ってた人なんだなと思うよね……)

 そこで、ふと思い至る事があった。

「……ねえジーク、納戸のガラスケースなんだけど、もしかして時間停止とか腐らないようにしてるとか、そんな機能はついてた?」

「……?」

 希美子の言葉にジークヴァルトは、何言ってんだコイツ?みたいな顔をして答える。

「お前はあのケースが肉を飾っておく為の箱か何かだと思ってんのか?」

「あるんだね?!ありがとう!」

 それだけ言って、寝室を飛び出した希美子は一目散に納戸へ向かった。

「……たぶん、いや。絶対あるよね!」

(肉のあったケースの下、樽がいくつかあった筈だ。ワインセラーが、あったから中身はお酒か何かだと思って確認しなかったけど――)

 納戸の中でいそいそと何かを探し出す希美子を、後から来たジークヴァルトが怪訝そうに見ている。

「おい、どうし――」

「あったぁ!!」

 何やらツガイがめちゃくちゃ喜んでいる。

 少なくとも、あの中に入っている食材はこの家を譲られた時には既にあったものだ。

「…………」

 ジークヴァルトは何となく、いや、かなり……とても面白く無い気分になりながら、納戸の中に居る希美子に声をかけようとして――

「ジーク!今日の夕飯、私が作ってもいい?!」

 

「…………」

 予想外の事を言われた。

 ――

 ――――

 ――――――

 あの後もしばらく希美子は納戸を漁り、いくつかお目当ての物を見つけたらしく、その後は野菜類やキッチンにある調味料類をジークヴァルトに色々と聞いてから作業に移った。

(……エプロン、欲しいな。いや、ジークの舌を唸らせてからじゃないとおねだり出来ないよね!)

「…………」

 キッチンに立つツガイの意外な姿に、正直ジークヴァルトは感心していた。

 意外に手慣れていたからだ。

 火の使い方や、水の出し方などは彼女の世界に無い魔力を使った物なのでわからないのは仕方ない。

 包丁も、はじめは切れ味が悪いと戸惑っていたようだったが、ジークヴァルトが少し魔法で研いでやると見違えるようにスルスルと皮を剥いていった。

 ジャガイモの皮を、実をクルクルさせながら剥いたのは驚いたし、芽の部分をくりぬき出した時は何をしているのかと思った。

『え?!芽に毒ないの?!このジャガイモ優秀過ぎない?!』

『毒があったら食えねぇだろうが』

 と言って呆れた。

 その後も希美子は『え……あ、フグとか絶対食べようとは思わない世界なのかな……そうか、なんか……そうか……』と言って何故か恥ずかしそうにしていたが『フグ』とはなんだったのだろうとジークヴァルトは内心首を捻っていた。

 その後は概ね問題無かったように思う。

 ただ、あの、ジークヴァルトの鼻が曲がりそうな黒い液体を取り出した時だけは『何を食わされるのだろう……』と少し腰が引けたが。

 ジークヴァルトはアレは毒だと思っている。

 実際、飲んだら絶対体調を崩す自信があった。

 そして、ツガイはそれだけでは無く……あろう事か腐った臭いのする泥のような物をスープらしき物に溶かし入れている。

 何の試練だろうか。

 ジークヴァルトは幼少期、裕福とは言えない生活をしていた時期もあった。

 人族の国へ来たばかりの頃だ。

 あの頃は泥の付いたパンも平気で食ったし、腐りかけの肉を食ったりもした。

「…………」

 ジークヴァルトは、希美子に気付かれないよう、静かに深呼吸する。ちょっとドキドキしてきたので。

 大丈夫だ、自分の胃袋はそんなにヤワでは無い。

 一応、生でも食べられる卵を渡してある。

 あそこには問題ない筈だ。

 そう、食材に関しては問題無い筈なのだ。希美子が嬉々として引っ張り出して来た未知の液体類以外は。

「できたー!!」

「っ!」

 ジークヴァルトの尻尾がブワッとした。

 耳はピーンと立っている。

 何で自分は人化を解いたのか。

 いや、なんかわからんが獣人がすこぶる好きらしいツガイが嬉しそうにするからとかこの際言い訳はどうでもいい。

 ぴるぴる忙しなく揺れる自分の耳が憎い。

 ジークヴァルトのツガイは、幸いにしてそんな彼の状態に気付かず目の前のテーブルに皿を並べて行く。

 深皿にはオムレツのような卵と、その中には鶏肉……それから玉ねぎが入っている。

 スープらしきものからは、ほんのりと腐った臭いがするが、ジークヴァルトが昔食べた肉程の危機感は伝わってこない。

 真ん中の大皿には、肉と玉ねぎ、人参にジャガイモが……何やら茶色い液体に浮かんでいる。赤ワインの匂いはしない。

「…………食うぞ」

「うふふっ、はい、どうぞ?」

 ジークヴァルトはフォークを手に取った。

 チラリと希美子を覗き見る。

「…………………………」

 見られている。めちゃくちゃ見られている。

 意を決して、オムレツのなり損ないらしきものにフォークをさすと、中に白い何かが見えた。……虫の卵ではなさそうだ。

 一粒食べて確認したいところだが、ツガイが彼を見ている。穴が開きそうな程、見ている。

 ジークヴァルトは半分ヤケクソ気味にそれらをひとすくいすると、その勢いで口に入れた。

「………………?……悪くねえ」

「――やったぁ!ね、味噌汁も飲んでみて?あとね、こっちは肉じゃがだよ?」

 言われるままにスープを飲んでみると、これまた身体に染み渡るような深みのある味わいがした。

「鰹節が棒のまま出てきた時はびっくりしたけどね、ジークが削り機の刃を研いでくれたから助かったよ。味噌は初めての人は苦手だったりするって聞いた事あるから、出汁を強めに効かせて味噌の量は控えめにしたの!」

『肉じゃが』とやらも『親子丼』の味付けと近い気がする。こちらも「悪くない」とジークヴァルトは思った。

「これはね、お漬物だよ?ぬか床掘り返したらあったの、味見してみたけど美味しかったから食べてみて」

「…………」

 少々腐ったような臭いがするが、他のものも悪くなかったので口にするジークヴァルト。

「ね、どう?」

「………………悪くねえ」

 ジークヴァルトがそう言うと、再び満面の笑顔を浮かべる彼のツガイ。

 多少、いや――大分ヒヤヒヤさせられたが、美味いものを食べて、ツガイのこんな顔を見れるなら『悪くない』とジークヴァルトは思った。

「……それでね、ジーク。お願いがあるんだけど……」

 この後、ジークヴァルトはツガイの可愛らしいおねだりを二つ返事で快諾したのだった。

 明日の予定に、エプロンを買いに行くという項目が追加されたのだった。