「聖セレスの日? 」
「そう! この世界にもクリスマス的な日があるらしいんだよ希美子ちゃん! 」
イスターレ王国の宝石と称される美しい街、レイアにも冬が訪れていた。
希美子が来てから5ヶ月ほどが経った訳だが、ここレイアは冬だと言うのにあいかわらず住みやすい。
どれくらい住みやすいかというと――
コートとマフラー等の冬の装いではあるものの、それだけで街中雪景色の中、寒さをたいして感じることなく噴水広場のオープンカフェで楽しくお茶していられる程度には住みやすい。
この街には二人も『落ち人 』がいる為に、街を美しく彩る雪は降れど、寒さの方は何故か深刻にはならない。女神セレスの祝福を受けるとはそう言う事なのだ。
それにくわえて、街に吹き込む風はバッハシュタインの結界によって、ある程度緩和されていると言うのもある。
「そもそも落ち人が持ち込んだクリスマスの習慣が変化したものっぽいんだけどね、朝起きたら子ども達の枕元にプレゼントがあるのは一緒だよ! 」
妙子の言葉を聞いた希美子は目を輝かせた。
「アレはすっごくわくわくするもんね! うん、いいと思う! 」
同郷の方々もなかなか良い事をするなぁと希美子が聞いていると、妙子は「ただねぇ…… 」と続けた。
「朝起きたらまず、プレゼントにキスをするのが習わしわしいんだよね? そんなクリスマスの習慣、ないよね? 」
「……聞いた事ないけど……プレゼントに感謝? くれた人への感謝の気持ち?……とか? 」
希美子と妙子は頭の上にはてなマークをたくさん浮かべて首を捻る。
「あれ? 妙子ちゃんに……希美子ち……サン? 」
目の前のホットワインが冷めるのも構わずウンウン唸っている二人に気付いた人物が、キョロキョロとまわりをうかがいながら近づいてきた。
「あっれー? ヨナスだ! どうしたの? またお使いにかこつけて女の子あさりにきたの? 」
「いやちょっ?!妙子ちゃん?! 」
二人に声をかけたのは、妙子が世話になっている神殿の神官の一人、ヨナスである。
妙子のツガイであるユリウスの補佐をしている為、ヨナスは妙子にとって他の神官よりたいぶ気安い仲なのだ。
「あ、えっとヨナスさん。その節はどうもありがとうございました 」
希美子は以前ジークヴァルトとともに神殿に訪れたとき、このヨナスに服屋への地図を書いてもらった事を覚えていた。
女好きのヨナスも、妙子以外のエキゾチックなこの顔立ちを忘れる訳もなく――
「いえいえー……って、今日はあの怖ぁい冒険者のお兄さんはいないの? 俺、鼻と腕斬られそうになったの忘れてないよ? 」
言いながら、気持ち妙子に寄りつつ希美子から距離をとりつつと言った具合に警戒しながら、辺りをキョロキョロと見渡すヨナスはなかなか格好悪い。
ついでに言うならジークヴァルトは、ヨナスの事を『オークと同じ匂いがする 』と言ってもいたのだが、オーク扱いされた事は綺麗さっぱり忘れた様子のヨナスであった。
「あ、ねぇねぇヨナス。クリスマ……いや、聖セレスの日なんだけどさ? なんで子ども達は朝イチでプレゼントにキスする習慣があるの? 」
「え、そんなの――…… 」
何を当たり前の事をとばかりキョトンとしながら振り向いたヨナスだったが、同じくさっぱり意味がわからないとばかりキョトンとしている『落ち人 』の二人を見て「ああそうか 」と納得した。
「そうだよねぇ二人は落ち人『側 』だもんねぇ、そりゃ知らないか 」
「え? 」
(聖セレスの日は落ち人が広げた文化じゃないの?落ち人側が知らない事? )
意味深なヨナスの言葉に希美子は首を捻る。
「朝、枕元に置かれたプレゼントって言うのはね、『落ち人様 』に見立ててるんですよ。アントワールの人間にとって女神セレスからの最高の贈り物と言えば、それはセレスの祝福を一身に受ける『落ち人様 』の事だからね。ある日突然目の前に現れた落ち人様に、我が子が迷いなく口付け出来るようにと始まった風習があのプレゼントなんだよ 」
若干ドヤ顔で説明してみせたヨナスだったが、当の『落ち人様』な二人はキョトン顔である。
「……迷いなく? 」
「口付け……? 」
ドヤ顔決めたにも関わらず、さっぱり概要が掴めないとばかりきょとん顔継続中の二人を見てヨナスは「……え?……え、あれ? 」と戸惑いはじめた。
「え、何その反応? 」
そんな事を言われたって、希美子達二人も言いたい。「何その反応? 」と。
「「「………………」」」
ヨナスは知らない事だが、この世界に転移した落ち人の大半は、来て早々窒息死するかしないかと言うパニック状態であったり気を失っていたりで、最初のキスとやらを覚えていないのだ。
自身が持たない『魔力 』というものに当てられて、窒息してしまうという落ち人様にアントワールの人間はまずキスをして魔力回路を構築する使命があるのだが、落ち人としてくる人間は女神に「即エッチしてね! 」くらいしか言われて無いので希美子達二人はヨナスの説明に全然ピンと来なかった。
三人が三人お互いの顔を見合わせて黙り込む事数秒。
「え?! ちょっと待ってよ?!落ち人様との最初のキスって言ったらこの世界の人間の間じゃ、子どもの頃からこの聖セレスの日に始まり成人の祭りの時にも念を押すように神殿で繰り返し教え込まれるお約束だよ?!『ツガイ 』にとったら一大イベントみたいなもんだよ?! 最初にキスしなきゃ二人ともそのまま窒息して死んじゃってたんだよ?! 覚えてないの?! 」
「あー……確かに、気付いたら大層な美人さんにチューされてるなぁとか思ったような……? 」
妙子の場合はその後すぐに自分が盛ったので、そちらの方が思い出深い。
「私……は、気づいたらジークヴァルトに剣を突きつけられてて……そんな事があった後にああなるなんて想像もつかないんだけど……? 」
こちらは完全に記憶に無かった上に、希美子はヨナスの話しを聞いて若干パニック状態だ。
(え、い……一大イベント……? こんな……子どもの頃から教えられる……? )
「さすがジークサン、最初からキャラ通りの振る舞いだったわけね……あ、もしかして今日来る子ども達のためにって昨日神殿で大量に焼いてたジンジャーマンクッキー達って――? 」
「そう、『落ち人様 』に見立てて女の子には男の子型の、男の子には女の子型のクッキーをあげるんだよね。受けたとったその場でクッキーにキスするんだよ 」
「……その後、食すと 」
「たっ!妙子ちゃん?! 」
意味深にニヤリと笑った妙子を、希美子は真っ赤になって振り返った。
「えー? 私は? みなまで言って無いデスケドー? 」
「ああん! もう! 」
希美子をからかいはじめた妙子と一緒にニヤニヤ顔を希美子に向けかけたヨナスは――
「うお?!?! 」
突然ものすごい寒気に襲われて、身を守るようにしゃがみ込んだ。
「……なにしてんの、ヨナス 」
「いや今すっごい殺気を感……あ、そうだ!俺妙子ちゃんを迎えに来たんだよね。さっき話してた昨日のクッキー、そろそろ配るんだけど妙子ちゃんがいた方が子どもたちも喜ぶと思ってさ 」
「おー……なるほどー? 」
自分の事ながら妙子は思う。聖セレスの贈り物が『落ち人様 』って事で浸透している文化なら、確かに落ち人の自分がいた方が盛り上がりそうだと。
「ポジション的にはサンタさん的な? 」
「それだ! 」
希美子の呟きに人差し指を立てて元気よく同意する妙子だったが、ヨナスは「さんた? 」と首を傾げている。
「あ、それなら希美子ちゃんも―― 」
「――却下だ 」
言いかけた妙子の言葉を、低い声が遮った。ヨナスは小さく悲鳴を上げて身を伏せ、声のした方を振り返った希美子は花が咲くように輝いた。
「ジークヴァルト! お買い物はもういいの? 」
「…………ああ 」
黒髪のイケメン冒険者ジークヴァルトは、不意打ち気味に食らった『自分を見つけたツガイの嬉しそうな表情 』に、もともと形状記憶されている眉間の谷をさらに深くして、短く答えた。
ジークヴァルトの『買い物 』というよりは、広場で妙子とばったり出くわした希美子が楽しそうにしていたので、同郷の友人同士でお喋りしたかろうとジークヴァルトが気を遣って席を外してやっただけである。
しかし帰ってきたらこの嬉しそうなリアクション――ジークヴァルトは、希美子の頭を小突きたい衝動に駆られたが、拳を握るだけに留めた。
ジークヴァルトは物陰に隠れているヨナスを、なんとなく八つ当たり気味に睨みつける。
そもそもこの男が悪いのだ。
ジークヴァルトがわざわざ同郷水入らずにしてやったというのに。ジークヴァルトは、いけ好かないオーク臭男が希美子達へ近付いて来た事に気付いたから、戻って来なければならなくなった。
「んじゃ、お迎えも来ちゃったし私は帰ろうかな。希美子ちゃんまたね! 」
「あ、うん! また今度ゆっくり遊ぼうね妙子ちゃん、サンタさん役がんばって! 」
希美子の言葉に握り拳を作って見せた妙子は、いつの間にか遠くの物陰に隠れていたヨナスを引っ張って帰っていった。
「私たちも夕飯の準備買って帰る? 」
「……そうだな 」
その後、いつも以上に気合の入った惣菜が並ぶ市場を見て、出来合い半分と予定を変更した希美子達の夕食はなかなか豪華なものになった。
鳥の香草焼きや、きのこたっぷりのシチューにラザニアに似たチーズとパスタのミルフィーユ。シトラス系の果実水と、デザートには街で評判の店が是非希美子にとくれたシュトーレンに似たケーキまであった。年が明けるまで少しずつ食べるらしい。
ドライフルーツやナッツがふんだんに使われたそのケーキを、希美子は恐縮しながらも喜んで受け取ったのだが、ジークヴァルトが無表情ながらも希美子にわかる程度、ほんの少し嫌そうな顔をしていたのが気になった希美子であった。
「ジークヴァルト、シュトーレ……いや、このケーキ食べないの? 」
いつものようにワインを口にしなかったジークヴァルトに合わせて、別に呑兵衛と言うわけでもない希美子も酒は飲まずにクリスマスのディナーを終えた。
その時、ジークヴァルトがワイン樽の保管してある納戸へ視線を向けて、何か言いたそうな表情をしていた事に希美子は気づいていない。
そしてケーキを切り分けてコーヒーと共にジークヴァルトの目の前へ置いた今、納戸を見つめていた時と全く同じような表情でケーキを見つめているジークヴァルトの視線の意味もわからず、希美子は「ん? 」と首を傾げた。
「……これは、同じような形のがお前の故郷にもあるんだろう? 」
「ああ、シュトーレン? 形は似てるけど全然別物かな?アレはクリスマスまでに薄く切って一切れずつ、毎日味の変化を楽しみながら食べるものだったけど、コレはそんなに日持ちしなさそうだね? まぶしてあるのは粉砂糖じゃなくてココアパウダーみたいだし、中身もこれ、ナッツの他にマジパンじゃなくてチーズが入ってる……? 」
クリスマス市場と化した広場の至る所で売られていたケーキだったので、希美子はアントワール的クリスマスケーキなんだろうと当たりを付けて購入したものだったのだが、何となく購入した店のおばちゃんから向けられた意味深な視線を思い出す。
「今、お前がやったように……『落ち人 』が『ツガイ 』へ切り分ける事に、意味があるものだ 」
いつになくボソボソと話すジークヴァルトに首を傾げながら、希美子はケーキをフォークで切り取り口へ運ぶ――そのタイミングに合わせたように、どこか渋っているようにも見えたジークヴァルトがケーキを雑に切って大きめの一口を咀嚼した。
「んぐ?!!?! ちょ、ジーク?! これ、お酒めちゃくちゃ凄いよ?! っていうかコーヒーリキュールで下べっちゃべちゃなんだけど?! アルコールとカフェインの暴力凄いんだけど?!! 何この度数、ケーキで喉が焼ける感覚はじめて……――ってチーズやさしい〜…… 」
「………… 」
いつも酒を口にすることを避けていたジークヴァルトへ、注意を促そうと叫んだ希美子だったが、予想を上回る度数に驚き過ぎてチーズの優しさに意識を持っていかれてしまった。
そして、そのせいでソレに気付くのが遅れた。
「え、ジーク……? ぜ、全部食べたの……? 早くない……? お酒、苦手なんじゃ……? 」
希美子が気付いた時には、ジークヴァルトの為に切り分けたケーキは全て無くなっていて――
「え……? ジークヴァルト、おかわり? 」
からになった皿をグイッと希美子へ向けた。ジークヴァルトは何故か希美子と視線を合わせないようにとばかり、下を向いていたのでどんな表情でおかわりを要求しているのかわからない。
「えっと、どのくらい? ……え?! そ、そんなに?! お酒の事を抜きにしても、これって味が濃いしコーヒーを楽しみながら食べるものじゃ……あ、はい、すみません、コレでイイデスカ……? 」
希美子が渋っていると、何やらジークヴァルトが怒りに似た魔力をブワリと纏わせたので、ご機嫌を取るために希美子は残りのケーキの全部をジークヴァルトの皿へ乗せた。
「……………… 」
「……………… 」
緊張感ただよう食卓で、黙々と消費されてゆくクリスマスケーキ(未確認 )。
「……………… 」
何もせずにはいられない空気に、希美子もちまちまとケーキを口へ運ぶ。
(なんか…… 花火大会でテキーラゼリーを食べさせられたの思い出すな……アレはゼリーにしちゃ駄目なやつ……。最近よく地球に居た頃の事を思いだすなぁ……? なんか、魔力定着終わってからこういうの多い気がする。今度妙子ちゃんと話してみよう )
――ガタンッ
――びくうっ!
「おい、希美子。さっきは妙子と面白い話をしていたな? 」
「へ?! 」
「朝、枕元に置いてあるアレの話だ 」
あれ?と、希美子は思う。
ジークヴァルトがいつも話す時の癖が無い、と。
(ジークはいつも一度考えてから話すみたいで……言葉にする前、独特の間があるのに……? )
「えっと、落ち人の代わりに置いてあるプレゼントにキスする習わし?! あれね!びっくりした!うん! 」
他の事を考えてると悟られまい。希美子は大きな声でハキハキと答えた。
「コレにも、習わしがある 」
「へ? ……あ! へぇぇえ!! そーなんだぁぁあ!! 」
「女が欲しい魔力の分だけ、男に切り分けるって言う習わしだ 」
「え……? まりょ、まりょく……――魔力!! そっかー!? 」
何となく嫌な予感のした希美子の脳は、理解する事を拒否した。
いまだに「まりょくかぁぁあ! 」とか言っている。声もうわずっている。
――がたーんっ!
「ひいいぃぃい?!?!! 」
希美子の座っていた椅子ごと反転させられた。椅子の前脚が浮き、背もたれがテーブルに寄りかかる不安定な体制で、ジークヴァルトの両手は希美子を挟むようにしてテーブルについている。
「落ち人に、魔力を与えるって意味と同じ行為があるなぁ? おい、希美子 」
「なっ?!な、なんだろおおおっ?!きみちゃん、わっかんないなぁ?! 」
希美子も若干酔っていた。
可愛い酔い方ができない、残念ヒロインである。
「おい希美子、俺の眼を見ろ 」
「眼――って! いやもうめっちゃ座ってるじゃ――んんん?!?!! 」
希美子は光を一切宿していない暗いジークヴァルトの瞳をみて震え――る、暇もなく口付けられた。
長い――永い口付けだった。
やがて、希美子の身体から全ての力が抜けてしまった頃、唇を離した狼が囁く。
「女から与えられた糧の量だけ、男はその女の中に子種を注ぐ 」
――それが、アントワール流の聖夜だ