異世界行ったらインキュバスさんと即えっち!1

  異世界アントワールの魔人領の一つ『カルカテルラ』は、まだ昼下がりだというのに不気味な霧と厚い雲に覆われ風は湿り気を帯びていた。

 この街は人族の国との国境に位置する。

 今代魔王が人族達に『不戦』を宣言してからというものポツポツと交流がはじまり、今では肝の太い人族の商人等は多々出入りしているという魔人領でも珍しい領地だった。

 カルカテルラは魔王の直轄地であり、魔王軍の幹部が領主代行を勤め、その人員も数年おきに交代してきた領主を持たない地である。

 石造りの神殿のような建物が軒を連ね、道行く人影は足早に目的地へと急いでいる。

 優香にとっては素晴らしいと思える建築物も、彼らにとってはわざわざ見上げて観る程の価値など無いようだった。

「……なんて言うか……ハロウィン的な街並みですね……でもゴシックとは違うような……古代の神殿的な……ルネサンス様式? 」

 先程から行き交うヒトとは明らかに異なる衣服と雰囲気を纏った丸メガネの女が、連れと思われる長身の男に言った。

 男は遠目から見ればその身長とスタイル、姿勢と相まって品と魅力を感じさせるものの、もさもさの黒い前髪が目元を隠しているソレがなんとも残念なダサさだった。

「『落ち人』がこの場所をどう表現したかはあまり残っていないな……魔王都に関しては色々残っていた気はするが……その建物だ優香 」

 見た目のダサさとは裏腹に、スルリと自然に女の腰へ手を回してエスコートするその様は、完全に『モテ男』のソレである。

「ひぅっ?! あ、はい…… 」

 ビクリと震えて小さな悲鳴をあげた『優香』を男は口元だけの微笑み一つで黙らせた。

(髪はモサモサなのに……なんかこう、色気というか大人の男の余裕を感じるんですよねぇ……)

 大きな列柱が立ち並ぶ一際大きな建物へと二人は入った。

(うう……なんか、腰が……こう、絶妙な力強さと言うか……優しく包まれてる感じなのに、ここに手があるだけで安定感が増すというか……え、エスコートってこういうことなんですねぇ……)

 ほんのり頰を染めながら、優香は腰に回った大きな手のひらを意識せずにはいられなかった。

 同時にどうして自分がこんな異世界としか思えぬ場所でこんな『モテ男』と横に並んで歩いているのかも意味不明だ。

 優香は日本人だ。

 ついさっきまで自分の部屋に居たはずだった。

 いや、ついさっき居たのは何も無い白い空間――人とは思えないほどに美しい女の人に「異世界に行かないか」とそう言われた。

『いくら初体験の相手がクソ童貞で何度も流血沙汰になったからって、今時セカンドバージンのまま此処に来ちゃうなんて……可哀想過ぎる……』

 と言ってさめざめと泣かれた。自称『女神』に。

 思わず「余計なお世話です」という言葉が喉まで出かかったが、なんだか本当に悲しげにしている美人の泣き顔に何も言えなくなってしまった。

 それは昔から『お人好し』と人によく言われていた優香らしい反応だった。

『だから! あなたにはアントワール……あ、私の管轄する世界ね?そこでも指折りの男を紹介するわ! あなたの運命の相手はそれはもう超絶てくにしゃん! あなたにバラ色のセックスライフを約束するわ!! 夢中になる事間違いなしよ! 』

「余計なお世話です! 」

『え……』

「え?」

 その後、長々と自称女神の『異世界アントワールプレゼン』に付き合わされて――最後の方はよく覚えていない。

 気付いたら、いま優香の隣に居るこの男――ラウロの腕の中にいたのだ。

 優香は自分の腰に回された手を気にしながらも、ラウロの顔をそっと覗き込む。

 身長が高い彼を下から見上げる事で、もさもさ頭の黒髪に隠された瞳が少しだけ見えた。

「ッ………… 」

 優香は思わず息を飲んだ。

 整った顔立ちだった、美人とか中性的とか雄臭いとかそう言った類では無い。

 男らしい……凛々しい……着物が良く似合いそうな、しかし派手さの無い――いわゆる『地味イケメン』と言うやつだろうか。

「……ッ……つっ!! 」

 優香は思わず顔を両手で覆った。

(……た、大変だ……理想の殿方が息をしている……こんな……こんな事って……)

 優香は『地味イケメン』が好きだった。

 学生時代クラスの女生徒達がイケメンを血眼になってロックオンしている間、優香は派手で強めな友人に守られながら、のほほんと過ごしていた為に、モテ男達に無害認定されては相談を頻繁に受けていた。

 まあ、相談という名の愚痴なのだが。

 彼らモテ男と言うのはただ突っ立ってるだけで女の子が寄ってくる為か『女そのもの』を小馬鹿にした所がある。

 上から目線で『優香なら付き合ってもいい』と言われたのも一度や二度ではない。

 友達としてならいいが、付き合う相手として考える事はどうも無理があった。

 可愛い系男子も駄目だ、奴らは自分が可愛い事をわかっている。

 奴らのわがままに振り回される女の子達を見ながら優香はそっと可愛い系男子を『敵認定』した。

 イケメンだと言う事にあぐらをかいて、女の子をバカにするでもない、わがままで振り回すような事も無さそうな――誠実そうな『彼』と出会ったのは大学生の頃。

 正直顔は良い訳では無かったが、そんな事気にならないくらい優香は彼の優しい性格に惹かれ――はじめての夜……血を見た。

 はじめては痛いもの、そんな事は常識だ。でもこんなに痛いのか? こんなに疲れるものなのか……? と、自問自答しながらも愛があれば乗り越えられるとばかりに後日、二回目三回目と繰り返し――さすがにおかしいと思いはじめた。

 事後、痛みを訴える優香のソコを確認した彼は――

『あー切れてるね 』

 と、悪びれもせずに言った。

『慣れが大事だから、もう一回しよう』

 ……百戦錬磨の猛将のような、余裕の表情で不細工が言った。

 その後、すぐに彼とは別れ優香は猛勉強とまではいかないまでも、今まで何となく避けてきた『性知識』を得る為にエロ雑誌エロ本エロ漫画エロ小説を漁りまくった。

 何と言う事だろう。

 彼――いや、『奴』はたいして優香のソコを解しもせず突っ込んでいたのだ。

 奴がやった事と言えば、指を二本ほど突っ込んでクチュクチュっと揺らす程度、濡れてるか確認したくらいな程度で突っ込み、そのまま先っちょ以外カラッカラの肉をねじ込んでそのまま律動を始めていた。

 そんなもの、毎回裂けるに決まっている。

 そして優香は三次元から撤退した。

 戦略的撤退である。

 そう言うことにしよう、そう言うことにしておいてくれ。これは勇気ある撤退なのだと。

 それからはもっぱら優香の『彼』はあらゆるエロ媒体とラブグッズだ。

 結婚するまでに自分で開発しておこう。

 でももう子作り以外でセックスするとか無理。

 そんな女が一人出来上がった、それが優香だ。

 しかし、まあ、結婚まで清い関係でいれる相手などそうそういるはずもなく――

「セカンドバージンのまま異世界に来てしまった……」

「ん? 」

「あ、いえっなんでも無いです! 」

 ギリシャ神殿のような列柱が立ち並ぶ神殿のような建物の中は、図書館のようだった。

 薄暗い館内を蝋燭のような灯りが照らしているが、さながらホラー映画のようである。

 ここは魔人領だとラウロは言っていたし、優香が知るファンタジー世界の魔界と言えば一日中夜みたいなイメージだったので、これも仕方なしと既に自分の置かれた『異世界転移』と言うものを受け入れつつあった。

 何故か取り乱す気になれないのだ。

 その謎も含めてこれから何かわかれば良いのだが――

「これが『落ち人』に関する本だよ、司書に出しておいて貰った……君がどこまで女神から説明を受けているのかわからなかったからね 」

 そう言って渡された分厚い本を手に取り優香は見た事も無い文字が――

「よ、読める……? いや、『解る』…… 」

「そうか、良かった。まず、このアントワールでは君のようなヒトの事を『落ち人』と言う―― 」

 ラウロが本を使って優香に説明してくれた内容はこうだ。

 この世界――アントワールは、女神様の祝福の化身と呼ばれる『落ち人様』という異界から遣わされた現人神にも等しい存在が各地で確認されている。

 女神セレスの強い祝福を持つ『落ち人』は、その存在だけで国を富ませると言われてきた。

『落ち人』の居る街は、災害知らず。

『落ち人』の居る領地は、飢餓知らず。

『落ち人』の居る国は――

 土は肥え、太陽に愛され、恵の雨は優しく、精霊の祝福を得る。

「でも数十年前まで魔人領――その頃は魔族領か。ここには『落ち人』は一人も現れなかった 」

「え……それって、すごく大変な事ですよね……? 」

 やや間を空けて、耳に心地よい……染み渡るような静かな声でラウロが言う。

「……そう、とても大変だったよ。今のように孤児を養う余裕のある場所なんて無かったし、生きる為に魔族同士でも争いが絶えなかった。それを今の魔王様が変えたんだ 」

「どうやってですか……? 」

 モサモサの黒髪に隠れて目元は見えないが、フッと形の良い彼の唇が微笑みをたたえた。

「人族の領土への侵略行為をやめたんだ 」

 それは偶然だったと言う――その頃まだ魔王では無く、研究者であった彼は人族領への侵略行為と勇者誕生には相関関係がある事に気が付いた。

 彼は自身の研究を証明する為、力尽くで時の魔王を退け、自身が魔王となると人族領への侵略行為の一切を禁じたそうだ。

 その頃から人族領に『勇者』は誕生しなくなったと言う。

 魔王は人族領の国々へ『魔族領』は『魔人領』となると宣言した後、国交を樹立する為のあらゆる手段を模索し、努力をしたという。

 ほどなくして『落ち人』が魔人領にも遣わされるようになった。

「でも最初の落ち人は死んでしまった 」

「え…… 」

 優香は驚きに目を見開いた。

「人族達にとっては常識だった『ソレ』を俺たちは知らなかったんだよ 」

「常識……? 」

 ――ドクンッ、と優香の心臓が嫌な音を立てた。

「落ち人は、魔力を持たない……魔力の満ちるこの世界では生きていけない 」

「え……え……? 」

 ――ドクン……ドクン……

「『落ち人』は女神に定められたツガイに魔力を注がれる事で魔力回路が構築されるんだよ 」

「魔力回路……? 注ぐ……? どうやって…… 」

 ――ドクン……ドクン……

 ラウロの手がスルリと優香の片頰を包み込む。一瞬それに気を取られた優香であったが、強い視線を感じて前を見た。

 真っ直ぐ、彼女を射抜くような熱を帯びた瞳がそこに在る。

「ラウ…… 」

「優香、君は俺に抱かれないと死んでしまうんだよ 」

 ――――――ドクッ……

 紡がれた言葉の意味を脳が理解する前に、ラウロを中心として黒い霧が立ち込めた。

 そう、ここは魔人領――その地に住まう者が人族であるはずがないのだ。

 では、彼は……?

 優香の目の前で、光を失った熱い視線を向けてくる彼は、何者────

「ラウロ……あなた、人族で無いなら『何』なんですか……? 」

 すがたかたちは、何一つ優香と違わなかった筈だ。少なくとも、今この時までは――

「俺――? 」

 メリメリと音がする、どこから……彼の、背中からだ。

 むくむくと黒い何かが彼の背中に生えて――やがてバサリと音を立てて広がった。

「――俺は『夢魔』……インキュバスとも言うかな、人の夢に侵入し淫夢を見せて生気を貪る魔人の事だよ 」