深紅のビロードが敷かれた魔王城の中を、興味津々といった視線を隠そうともしない魔人から、優香を守るようにしてラウロはエスコートしてくれた。
しかし、優香は今それどころではない。
『ああ、そっか! まだまだたくさんエッチしな―― 』
最後に魔王の落ち人が言ったあの言葉が、先ほどからぐるぐると頭の中を回っているのだ。
「おい、あれ―― 」
「例の落ち人様よ、アッカルド様の所へいらしたんですって! 」
「……確か、夢魔へ落ち人様が遣わされたのは―― 」
「サキュバスのマリエッタ様の所と、アンナ様、インキュバスだとミケーレ様が最後―― 」
「そんなに?! ……落ち人様ってずいぶん―― 」
優香には全く聞こえていなかった噂話。
ラウロにはバッチリと聞こえていた。そして、最後の人間の言葉が不穏な空気を醸し出した所で場が一変――紫色の煙が辺りを覆ったその時、噂話をしていた魔人たちが眠そうな表情になっていき、夢遊病者のようにフラフラと歩きながらその場を離れて行った。
『高濃度ノ魔力ヲ感知、対処可能ナノハ将軍レベルト推測シマス。魔力紋ノデータを解析中、解析中、解析中――犯人ハ「ラウロ・アッカルド」ト判明。特別措置対象、死者ゼロ人、コノ事案はマザーヘ対処ヲ委任サレマス。魔王軍ヘ反逆ノ意思ガ無イ場合、自室ニテ待チ下サイ。繰リ返シマス―― 』
「了解 」
『ゴ協力ヲ感謝シマス 』
「え、え……ええ? 」
突然あたりに響き渡った機械音に、優香はやっと我に返った。
「え、な、なんですか今の? ラウロさんに……? 」
「なんでも無いよ、部屋へ行こうか 」
先ほどまでそこかしこに人の気配を感じたのに、人っ子一人居なくなった広い廊下をきょろきょろしながらラウロについて行った。
到着した時、謁見の間から直ぐの部屋へ通された。蛙獣人に声をかけられるまで、優香は高そうなティーカップに入った紅茶を眺めて過ごした。
馬車の中での情事が思った以上に悦過ぎて、少しの間ラウロの顔を直視できなかったので。
そんな待合室ですら結構な広さであったのに、ラウロが優香を案内した部屋はそれ以上だった。
奥には大きな窓がいくつも連なり、中央には外へ出られるようにかバルコニーまである。
空は暗いが。
ゴシック系の彫り物が施された暖炉の炎は、写真を撮ればきっと骸骨やら人の顔やらが映り込むだろうという不気味さがある。
暖炉の前のソファはきっと談笑でもする為のものなのだろう、六人はゆったりと腰掛けられそうなエル字型のソレに、敷き詰められた大小様々なクッションはとても柔らかそうで、ここに茜がいたら速攻でダイブしているだろうと優香は思った。
青紫色の絨毯はフカフカと柔らかそうで、寝転んでも大丈夫そうな清潔さがあり、靴で部屋へあがるのが憚られるような気持ちになる。
優香は足を踏み出す事を躊躇しながら「ここはラウロさんの部屋ですか? 」と聞いた。
「うん、こっちにいる時は此処で生活しているから……あ、カルカテルラの部屋と違って此処にはいいものがあるよ? 」
おいで、と、またしてもさりげなく腰を引かれて、突然の事で脚がもつれそうになるところなのに、どうやってもラウロのエスコートは完璧だった。
素晴らしい安定感で部屋の奥へと案内され、黒い壁のアーチ型の開口部を通り過ぎると、温かな湿った空気を感じられた。
微かな水温がする。
「え、まさか―― 」
「落ち人様はみんな好むと言われているけれど、優香も? 」
ボサボサ頭の黒髪でその瞳は伺えないが、小さな悪戯が成功したみたいな楽しげな声音だった。
骨張っていて大きな手が扉を開けると、そこには五人くらい入っても余裕そうな浴室があった。
そして、それまで暗いゴシック様式の造りだったのに、浴室だけが様子が違う。
「これ、アクリル……の、わけないか。何か光ってるこの乳白色の石は? 」
「海で獲れるパール大理石と言ってね、それをこの部屋全部に使っているんだって 」
「全部……あのちょっと色が違うところも……? 」
「いろんな色があるからね、お陰でこの部屋にはライトの魔法も必要ないんだよね 」
「うん、凄く明るい……あと、綺麗…… 」
見るからに高そうな石は淡く光り続けて本当に明るかった。
それも、木漏れ日のような温かい光。優香はずっとこの部屋に居たいという気分にさせられた。
「『シャワー 』もあるよ 」
「え? どこに――わっ…… 」
部屋の一部に少し天井の低くなっている円形のスペースがあり、上からサラサラと柔らかい雨が降ってきた。
どうやら水の量は調整できるらしいが、天井から降るシャワーを見て優香が思った事は――
(滝行ゴッコできるなぁ……茜ちゃんと遊べそう? いや、猫だし水は……いや、人間……なんだよね? )
――ぴちゃり……
「ひょわああああ?!!?! 」
突然ラウロに首筋を舐められた。
「――後で、一緒に入ろうね? 」
「?!!?!!?! 」
一瞬で茹で蛸のように全身真っ赤に染めながら、まだ自覚の足りない我らが落ち人様は、思ってもいなかったと言う大層驚いたお顔をされた。
「もっと、頭の中、俺だけにしなくちゃ―― 」
「アッカルド隊長、吸血将軍様がお越しです 」
二人の世界に割り込んだ声は、少年のような声だったけれど、凛と響く刃でその場の空気を断ち切った。