ラウロが物心ついた頃、彼はとある人族領のスラムにいた。
淫魔は生まれてすぐに急成長を遂げ、人族で言う七歳児位まで3日で成長する。
これは魔人基準でギリギリ一人で生きていける程度の大きさだ。人族の腹で魔力を溜め込み、生まれ落ちてすぐに捨てられても3日は飲まず食わずでいられる。
この急成長は母がサキュバスの場合なら問題ないが、インキュバスが他種族に種付けした場合は逆にその急成長を母に気味わるがられて捨てられるケースが多い。
それでも種の存続という意味でみた場合、この急成長は重要であるらしい。今日まで夢魔はこうやって種を存続させてきたのだから。
そんな訳で『ラウロが物心ついた頃』と言うのは、彼が生まれたばかりの事、と、そのまま置き換えられる。
気付いた時にはひどい匂いの立ち込める排水路の側にいた。
スラムの中でもそこは比較的人が近寄り辛かったらしく、幸いラウロは生まれて直ぐの急成長を誰にも邪魔される事無く終える事が出来たようだった。
しかし生まれながら、『顔立ち』に『カラダ』に『その存在そのもの』に色を纏わせたインキュバスの魅力は、それが子どもであっても変わらない。
ラウロはすぐにスラムの男たちに見つかり、囲まれた。
――本能が『彼等』の『淫欲』を正確に読みとって、ソレを『贄』と判断する。
並の夢魔ならば、その未熟さ故に己のカラダを使うしか無かっただろう。
しかし、ラウロは天才だった。
ラウロが魔力を放った次の瞬間、男達はお互いを『妙に色付いた子ども達』と判断し、そして貪り合った。
ラウロは男達が脱いだ比較的まともな服を選んで着ると、後は二束三文で売り払う。
ラウロの魔力の中で放たれる精力を喰らいながら。
腹八分目でやめたのが良かったらしい、その街に淫魔がいるのではと囁かれるようになったのは、ラウロの身体がとっくに成人してその街を出て行ってからの事だった。
ラウロは特にヒトを惑わせるのは己の『瞳』であると気がついてから、前髪を伸ばしてソレを隠すようになった。
比較的綺麗好きなので、湯あみも好きだし洗浄魔法も欠かさないけれど、寝起きの髪はそのままにしている。
他の淫魔よりも燃費が良いらしいラウロは、年中色を振りまいて食事と見れば老若男女問わずに食い散らかす下級淫魔とは違うのだ。
何十年とたった頃、気がつけばラウロは今の魔王に職を与えられていた。
気付けば人族とその頃の『魔族領』の境にある色街を牛耳っていた。
行き当たりばったりで、なんとなく生きてきた彼の生活が変わりはじめたのはこの頃からだったようにラウロは思う。
魔王の系譜、にも関わらず『次代魔王はまず無い』と言われていたエルサリオンは、他人を使う天才だった。
コミュ力は無さそうなのに、その魔族がどんな性格で何を得意とするのか正確に判断して、喜んで働くような場所にポンポン送ってくれる。
ただしカリスマ性は無かった。
研究オタクなので。
だがそれも優秀な部下の一人二人付けば問題なさそうだなと思える程度のものだった。「多分アレは黙って居さえすればいいタイプだ、喋るとカリスマ性が掻き消えるだけで」と、ラウロでさえ思っていたのだから、エルサリオンの近くに居る魔族にわからない筈がなかった。
エルサリオンの進めていた研究の概要を聞いて、珍しく他人に興味を持ったラウロは、気付けばエルサリオンを魔王にする為に、諜報まがいの事を始めていた。
エルサリオンが魔王になったのは、それからすぐの事だった。
それから魔族領は魔人領と名を変えて、人族の国々と不戦協定を結ぶまでに至った。
人族の国々からしてみたら、勇者がいなければ魔族達には歯が立たない。勇者もすぐに現れる訳ではなく、魔族がその気になったらいの一番困る国々は直ぐにこの話に飛びついた。
そうなるようにラウロが情報操作したのもある。魔王の不戦協定を、何か魔族達の弱みを隠す為のものでは無いかと痛くもない腹を探ろうと言う動きはいくらでもあったのだが、全て裏から黙らせた。
おかげで今代魔王は『賢王』と呼ばれ、人族の国々の――とくに市井の民から評判は上々である。
そして、人族からの評判が上がるにつれて――エルサリオンの予想通りの事が起こった。
――落ち人が遣わされたのだ。
落ち人が、魔族領にも遣わされるかもしれない。ラウロも聞かされた彼に興味を抱かせるに至ったその夢のような予想は、人族の神官達にとって気の良いものではなく、落ち人が死に至る原因を作ったのは聖王国が落ち人に関する情報交換を最後まで渋ったのが原因と言ってもいい。
魔人領最初の落ち人が死に、聖王国は暫く落ち人を頂く事は無かった。これは後に聖王国冬の時代と呼ばれる事となる。
聖王国の謝罪の後、情報交換が行われて久しい。
ポツポツと訪れるようになった落ち人は、魔王国を富ませた。
『落ち人』の居る街は、災害知らず。
『落ち人』の居る領地は、飢餓知らず。
『落ち人』の居る国は――
土は肥え、太陽に愛され、恵の雨は優しく、精霊の祝福を得る。
言い伝えにある通りだった。
だだ、太陽には愛されなかったが。
真っ暗だった空が『曇り空』なるものとなり、夜と昼の違いが出来たのはそれはそれで画期的な事ではあったが、この話になると人族の商人は微妙かつ曖昧な顔をして相槌を打つのだ。商人の癖に。
この国にも、落ち人が遣わされる。
それが当たり前に受け入れられつつあった頃、茜が魔王エルサリオンの元へ来た。
あの時は色々あり過ぎたが、今となっては過ぎた事だ。
落ち人に愛される魔王を見ながら、『もし自分にも来たら』と希望を持つ者も少なくない。
ラウロはそんなはしゃいだ話しを振られても、適当に流していた一人だった。
『あんな場所に居られるか! あそこに居たら彼女が傷付く! 魔王国は平和になったし、彼女が幸せならもっと素晴らしい未来が待ってる! 君が居るんだから俺なんてもういいだろう、二度とこの話はしないでくれ!! 』
ラウロは彼の前に諜報部隊隊長を務めていた男を思い出した。
落ち人に狂う前はあんな幼稚な物言いをする男ではなかった、もっと理知的で頭の切れる涼やかな男だった。
彼の変わりようをみて、ますますラウロは『はしゃいだ話』をする魔人達を冷めた目で見るようになったのだ。
――そんな事を言って、俺に落ち人が来たらお前らは心から祝福するか?
――彼の時のように、嫉妬で理性を失ったりしないのか?
『魔人は、落ち人を得て日が浅い。理性や倫理観と言うものは時代と共に成長していくものなんだよ、まだこれからなんだ 』
憂い顔の魔王の言葉が、彼は国父なのだと伝えてくる。
ラウロは自分がそんなふうに考え、彼等を見守る事が出来る日が来るとは思えなかったから。
――淫魔なんかに遣わされた落ち人サマねぇ。
――落ち人様もスキモノと言う事よ。
きっと俺は、その場で彼等の精神を壊してみせるだろう。
嫉妬に塗れた者のなんと卑しい事か。
なんと、恐ろしい事か。
ラウロの心がドス黒い何かに覆われていった、その時――声がした。
『――やっと、見つけたぞ 』
『愛しい落ち人よ、我のモノとナレ―― 』