夢の誘い

 ここは、女神セレスの祝福を一身に受けると言われるイスターレ王国の宝石レイア。

 小高い丘に建つ、カントリーハウスのリビングでうめき声をあげる女が一人。

 ソファで愛剣の手入れをしていたジークヴァルトは振り向いた。

 木製のダイニングテーブルに突っ伏しているツガイを見て、形状記憶された眉間のシワを深く刻んだ彼は手を止め、様子を伺う。

「…………キタ……着けといてよかった…… 」

「……あ? 」

 何やら意味深なことを呟く希美子は先程から微動だにしない。

 ジークヴァルトは、剣を鞘に収めて席を立った。

「……どうした? 」

「え、あ……うーん……えと…… 」

 ジークヴァルトが側に来たというのに、希美子は歯切れの悪い言葉を漏らすだけで、顔を上げようとしなかった。

「………… 」

 ちょっと面白くない気持ちになりつつも、彼女と出会ってこの方こんな様子の希美子を初めて見る。

 出会ったばかりのジークヴァルトならば、首根っこでも掴んで顔をあげさせただろうが、彼女が意味もなくこんな様子を見せる事は無いだろうと知っている今ではそんな気も起きない。

 ジークヴァルトは静かに希美子の頭へ手を乗せるとスルリと撫でた。

「……どうした? 」

 ジークヴァルトが、もう一度同じ事を聞くと希美子がゆっくりと顔を上げた。

「――ッ?! 」

 その顔色を見たジークヴァルトが目を見開く。

「どうした?! 」

 希美子の顔色が見たこともないほど青くなっていた。

 何故気が付かなかったのか、何かに阻まれるようにではあるが血の匂いがする――

 ジークヴァルトは瞬時に回復魔法と解毒魔法を同時に発動――

「――ストップ! 待て! 」

 させようとしたところで大きな声で止められ、伸ばした手の位置もそのままにビクリと肩を跳ねさせた。希美子はジークヴァルトに対してこんな風に怒鳴った事など無い。予想外の出来事にジークヴァルトは、らしくも無く驚いた。

 

 狼獣人相手に飼い犬に対するソレ、しかしツッコミは不在である。

「……妙子ちゃんが、コレはポーションじゃないとダメって言ってたから……えっと…… 」

「……あ? 」

 ポーションじゃないと駄目な体調不良というものに、ジークヴァルトは覚えが無かった。

 彼自身、回復魔法が使えるようになってからは何かあれば魔法頼りで生きてきた。

 魔力が切れるような事も殆どなかったのでポーションが必要になる時というのは大体がその時パーティを組んでいる者が魔力を切らせた時くらいのものだったのだ。

 訝しむようなジークヴァルトの表情を、希美子は気まずげな上目遣いで見つめている。

「お……女の子特有のアレ……と、言いますか……あの……ッ痛―― 」

「おい?! はっきり言え! じゃねぇと問答無用で回復かけるぞ!? 」

 座っているのもしんどいとばかりに、希美子がズルズルと椅子から滑り降りて床に踞ると、珍しくジークヴァルトが彼女に怒鳴り声をあげた。

「…………り…… 」

「あ?! 」

 希美子の両肩を支えるように手を添えたジークヴァルトの初めて見せる焦った様子に、希美子はこんな時じゃなければ嬉しかったのになと頭の片隅で思った。

「せ……生理が……きたみたいで……え、えへ…… 」

 眉間にシワを寄せて力無く、気まずげに言う希美子に、ジークヴァルトは目を見開いた。

 先ほど『着けておいて良かった 』と希美子が言ったのは、この世界の生理用品である。

 特別製の布を使って作られたソレは、妙子曰く蒸れない漏れない臭わないの『スグレモノ』らしい。狼獣人のジークヴァルトが気付かなかったのはその『スグレモノ』が本当に優れ過ぎていたからだ。

 ポーションしか使えない症状――ジークヴァルトに覚えがなくて当然である。

 彼は女冒険者とパーティを組んだ事がなかったし、特定の女性と長い間過ごすような生き方をしてこなかったのだから。

 そもそもパーティを組む時は、スタンピードや王国の指名依頼の時くらいのもので、大体がユリウスやクリストハルト、B級冒険者の男たちだった。

「……そのポーションは? 持ってるか? 」

「……うん、一応……あるんだけど……用量が決まってて……でも、少し飲もうかな……うぅ…… 」

 希美子は覚えたての異空間魔法で空間に裂け目を作ると、青い瓶を取り出して一口だけ飲んだ。

 即効性なのか、ポーションを口にした先からじわじわと痛みが緩和されていき、希美子は震える唇で浅く長いため息を吐く。

「……ベッドへ運ぶ 」

「――え…… 」

 希美子が返事をするよりも先にジークヴァルトは彼女を抱き上げると、足早に――しかし、振動を殆ど感じさせない歩みで二階へと急いだ。

「……洗浄魔法は問題無いな? 」

 ゆっくりと希美子をベッドへ横たえると、彼女の額の汗を手のひらで拭って彼女へ確認した。

 それに希美子は「ん…… 」と短く返事を返す。

 幸い、着ていたのは柔らかく織られた綿素材の部屋着だったので、腰紐を少しゆるめただけで希美子はだいぶ楽になった。

「……魔力定着が終わったからか……普段からこうか? 」

 一応、痛みを伴ったり不機嫌になったりするようだと知識としては知っていたジークヴァルトは瞳の奥に労りを滲ませて希美子に問いかけた。

 希美子が妙子から聞いた話によると、アントワールに遣わされた女性落ち人は魔力定着が済むまで生理が来ないという事だった。

 確かに、いつ魔力定着が終わるかもわからないのに一週間近く続くコレがあっては色々と都合が悪い。

 最中でも平気という猛者が相手だったとしても、賛否あれどお互いの身体に対して色々とリスクを伴う事になるだろう。

「重い時と、軽い時と……でも、妙子……ちゃんが……ここに来て最初の、は……みんな重い……みたいだって……言っ…… 」

 辛そうに話す希美子に、ジークヴァルトは腰を屈めて彼女の頭を撫でた。

 希美子の強張った身体が少し解れる。

「……ふふ 」

「……なんだ? 」

 先程まで強張っていた顔を少しゆるめて笑う希美子にジークヴァルトは自身の谷間はそのままに問う。

「なんか……少し楽になった……ジークの手は魔法の手だねぇ…… 」

 へへ、と力無く笑った希美子を見てジークヴァルトの眉間のシワが深くなる。

「…………少し待ってろ 」

「……え 」

 希美子が問い返す間も無く、ジークヴァルトは踵を返して部屋を出て行った。

 静まり返った寝室が、なんだかとても広く感じる。

「………………痛ッ 」

 再び痛みが走る、けれど我慢出来ない程ではない。

「………………ジーク…… 」

 ベッドの上で踞り、痛みを逃がそうとジッと耐える。

 静かな室内に、窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえてきて、また少し痛みが緩和された。

「……ふう 」

 どうにか眠ってしまった方が良いだろうなと、瞼を閉じた時――扉の開く音がした。

「ジークヴァルト……? 」

 薄く目を開くと、柔らかそうな部屋着に着替えたジークヴァルトがベッドへ近づいて来たのが見えた。

 ズッ……と、踞る希美子の後方が、沈む感覚を覚えた時、希美子は温かなものに背中から包まれた。

「……どこが痛い……? 」

「え……え……? 」

 ジークヴァルトが、添い寝の体勢をとっている。

 希美子の後ろから覆うようにその身体を包んで、大きな手のひらが下腹部を温めるように当てられた。

 ジワリと、痛みが引くような感覚に強張った身体がリラックスしていく。

(ジークヴァルトの匂いがする……落ち着く…… )

 ゆっくりと撫でられ、温められ、痛みが引いていく。

 背中にジークヴァルトの逞しい胸が当たって温かい。

 ここは、希美子が世界で一番安心できる場所だ。

「……ジークヴァルトさん 」

「…………なんだ? 」

 突然の『さん付け』に、ジークヴァルトは不穏なものを感じながらも返事を返した。

「もふもふがあれば……より楽になると思います 」

「……………… 」

 …………ジークヴァルトは無言で半獣人化すると、大きな尻尾を希美子の腹に回してやった。『はふぅ…… 』という、変な吐息が聞こえて来るが無視。

 ずっと下腹部をさすっていた希美子の手は、今やソコはジークヴァルトに任せたとばかりに手どころか両腕でジークヴァルトの大きくてフサフサの尻尾を抱き込む。

「………………ジークヴァルトさん 」

「……なんだ 」

「また次もお願いします 」

「…………………………ああ 」

 ジークヴァルトが返事をすると安心したのか、彼の尻尾の先へ幸せそうに頬擦りした希美子は……しばらくすると安らかな寝息をたてはじめた。

 そんな彼女の眠りを守るように、ジークヴァルトの手のひらは彼女を温め続ける。

 彼女にアレが来たということは、あの行為は魔力定着と言う義務では無くなったという事。

 純粋に――そこに存在するのは愛だけとなる。

 その先に、生まれるものは――

 今までと同じような調子では、ソレが現実となるのも時間の問題だ。

 まだ二人だけの時間を大切にしたいような、でもソレも楽しみな気がする。

 ジークヴァルトはすっかり幸せぼけした自分の平和な思考に苦笑いして――訪れた夢の誘いにいざなわれるがまま、目蓋を閉じた。